会長ブログ | 大阪府八尾市の美家古

超健康法(5)マット・腕、肩、首の疲れがとれる

<少しやるだけでも変身できる>

「バリエーションは無数にあるといったが、全部やったほうがいいの?」

「いや、極端なことをいえば一つ覚えるだけでもいい。体の器官がすべてつながっていることを体感するだけで、飛躍的な進歩だ。」

「『全意識』がまだ分からないんだけど。」

「元に戻るだけといっても、時代的に忘れ去ってしまっているので、そう簡単でもないし、急がされるときとか、難しい処理に出くわしたときなど、『全意識』からはずれてしまうことがある。だけど、気功や座禅、お祈りなどで一部で引き継がれてきたのだから、そう難しいことでもない。」

「それじゃ、まあ、そのうちに。」

「それでいいよ。これも少し、その習慣がつくだけで自分の周辺に大きな動きが起こるから自然と身に付く。それが新しいことをするのとは違う、それが『元に戻る』ことの特徴だから。」

「なにか、自分が変身できそうな気がしてきた。」

「それじゃ、パソコンや、スマホ、作業の専門化など同じ動作による腕の疲れを解消するマッサージ体操をしてみようか。」

「いいね。」

<腕、肩、首の疲れがとれる>

「まず、四つん這いになってくれる。」

「腕は伸ばしておくのかな。」

「足の膝もはじめは伸ばしておいて、次に足の膝を曲げておしりを踵の方に乗せる。足首は立てて置く。」

「腕は?」

「腕はそのままにしておく。左手だけで支えて、まず、右腕をはずして掌を上にして右脚の前に付けておく。」

「どのへんかな。」

「いまは適当でいいよ。そうだね。それじゃ、まず右ひざを持ち上げて、右腕を右側から膝の下に差し込んで、掌の上に膝を乗せよう。」

「痛い。」

「ごめん。体重をかけすぎたら駄目だよ。体重調整が必要なんだ。それを体全体でやる。全体と言っても、上体をまっすぐにした状態で腰の位置を前後するんだ。それで心地よいと感じる程度に体重をのせる。」

「うん、いまが気持ちいい。」

「そう、それが分かったら、その状態を探りながら、手をずらしていく。」

「そう、押さえたいところを膝の下にもっていく。手先、手首、肘裏と変える。」

 

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「こんどは腕の外側だ。手をかえして手の甲側を膝に当てる。指先、甲、手首、肘と手首の間と変える。」

腕のマッサージ1

 

「これだけでも、肩や首のコリがゆるむよ。脚や、腰、頭、方などのマッサージ体操もやれば、体はうそのように軽くなる。」

(超健康法(6)に続く)

大阪府八尾市恩智の古絵図

板倉さんが恩智の古絵図をお持ちだと聞いたので見せてもらうようにお願いすると、畳2枚くらいの大きさだということです。もっと小さくしたものはないのかというと、民族資料館の小谷館長がその古絵図をもとにA3の大きさで色分けしてつくられたものがあるというのでそのコピーを依頼しました。

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赤い部分が住宅地で、中央の横のラインが東高野街道、縦が恩智道で中央やや上の赤いところが恩智神社、青いところが山林、山林の頂上右上あたりで関電道路(大県信貴山線)に接しています。右上、ちょうど東南の角、この図では端が切れていますが、そこに番所があったということです。そこに大きなため池があるのですが、これほど多くの池があるのに、この重要な池が書かれていないのには、この池はこの絵のあとにつくられた?

ここには乾亀松翁が創られた信貴山に向かう広い道、恩智道が書かれていないのでその時代以前のものでしょう。

この絵をもとに、「古絵図を歩く会」(今は名前が変わっていますが、50名ほどになっているとのこと)が旧の細い信貴越えの道を歩かれたとのこと。

 

天誅組と奈良県高取町・高取城

高取城址を見てきました。天誅組が大敗したのに対して高取城側は一人も負傷していません。城跡を見て十分納得しました。立て看板に日本三大山城のひとつだと書かれていました。それは立派な城だと人から聞いていましたが、正直なところ、登りはじめは、道は険しいし、後から夫婦連れの年配者がやってきていましたが、途中で引き返すだろうと予測していました。しかし、頂上から降りてきたところで出会いました。神戸からわざわざやってきたので、引き返す気にはならなかったのでしょう。頂上に登ると、大きな木が視界をじゃましていましたが、四方を見渡せる抜群の立地でした。

建物は残っていませんでしたが、残された石垣を見ると、そのしっかりとした山城が想像できます。ここに、50人や100人攻めてきても高取城は十分に勝てる、そう感じました。高取城攻めは天誅組のあまりにも無謀な戦いだったとしかいえません。

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超健康法(4)マット(片膝立て)

(前回より続く)

<朝、目覚めた時に蒲団の中で>

「生命体の機能のひとつに、夜寝ているうちに、疲れをリセットしてくれるという不思議なものがある。それでも十分回復しきれないところをマッサージ体操で疲れをとるのが、非常に効果的だと思うのだが、できる?」

「となりに嫁さんが寝ているから怒られるよ。」

「じゃあ、仕方がない。マット体操としてできる部屋でやろう。」

 <片膝立て>

「じゃあ、まず、仰向けに寝て、右膝を立ててくれる。?」

3マット

「「これでいいかな。」

「OK。立てた脚で体を左右に倒しながら、マッサージをするんだ。

左手は横に広げて、右手は胸に置く。体を左に倒しながら、右手をずらすように肩から左手でさすっていく。伸ばした腕を、内側と外側を交互に上に向け、行くときは、腕の外側を、戻るときは腕の内側をさする。手だけでマッサージするのではなく、体全体でマッサージする。このときに、『全意識』になって、つながりを感じる。すくなくとも、体の内側のつながりは感じてほしい。これをしっかり覚えるのがポイント。反対側も同様にする。」

「マッサージの方法はこれだけ?」

「いや、バリエーションは無数にある。基本が分かればさまざまなマッサージ体操が自分でできる。」

(次回に続く)

超健康体操(3)椅子に座って

(前回から続く)

<意識を調える>

「マッサージ体操は、見た目は普通のヨガ、ストレッチ、体操と変わらないのだけれど、意識が大事なんだ。」

「うん、わかった。」

<椅子にすわってするマッサージ体操>

「マッサージ体操を始める前に椅子に座った状態でまず、精神統一をする。姿勢はまっすぐにして、頭が上から引っ張り上げられていると言うような意識だ。

気持ちは『さぁやるぞ』と言うような姿勢で、鼻の奥がやる気で熱くなって、腹は引っ込み、みぞおちは上にあがり、丹田に意識が集中させる。呼吸はゆったりしておく。」

「みぞおちが上にあがるというのが分からないな。」

「いいよ、そのうちわかるようになるから、腹をひっこませるだけでいい。」

「わかった。」

「この時、意識は『大生命』につながる。すべてを意識する状態を続け、1点にだけ意識を集中すると言うようなことをできるだけさけるようにする。」

「むずかしいな。」

「そう、慣れるまで、こんなことが難しい。」

「椅子に座って腎臓の後に両手をあて上半身がまっすぐ立つことを助けてあげる。

体の前で掌を上に向けて手を組む。肘を横に伸ばす。その手を体の前で、頭頂に向って上げていき、途中で返して、頭頂にくれば、手の甲の方を頭頂のほうに向け、手のひらを天に向ける。こんどは、体の前を途中で返して丹田までおろす。再び頭頂にあげる。これを繰り返す。」

「何回ぐらい?」

「上体が安定してまっすぐ立つようになれば3回でもいいし、思うようにならなければ、30回でもいい。」

椅子1-1

「一応、ひととおり基本を説明するけれど、1回ではうまくいかないと思うよ。とくに、説明を受けているときにそちらに集中してしまうから、『全意識』は消えてしまうね。それが普通だから、最初はそれほど気にせずにやればいい。」

「そうさせてもらうよ。あれもこれも同時にしなければいけないとなると、パニックになってしまう。」

「まず、椅子に真っ直ぐ座る。精神統一をして『全意識』になる。そのまま、上半身は伸ばしたまま手を膝(ひざ)に置く。脚の内側と両足の指先に気を入れる。これがスタートだ。」

「うん、OKだよ。」

「手は上体の傾斜に応じて、脚の側面をすべらせながら膝、足首を通って、指先にまでいくのだが、背中はまっすぐのばしたまま、頭頂が引っ張られていくような感じで前へ倒していく。」

1-2椅子

足先の小指から親指まですべらして、上体を立ち上げながら、内側を通って足首、膝、内股、腰へと戻る。これを繰り返す。」

「これだけ?」

「そう、バリエーションはきりなくあるが、これが基本。奥は深いが、最初は形をまねして、体感を重ねれば分かってくる。」

椅子1-3

(次回に続く)

 

 

 

 

 

超健康体操(2)マッサージ体操の紹介

(前回より続く)

<超健康のマッサージ体操>

「超健康のマッサージ体操には普通のマッサージや、体操とかなり違ったものがあるんだ。」

「え、ヨガのポーズみたいなのはできないよ。」

「いや、難しいポーズはないよ。だから見た目は同じように見えると思うよ。」

「良かった。僕は、ポーズは苦手だ。」

 

<体全体をつなげて動かす>

「体全体を動かす、言葉を変えれば全筋肉を動かすということがその違いかな。」

「ふつう、体操といえば、腕とか脚とか腰を動かすイメージだけど、全身を動かす?」

「そう、体は全てつながっているんだ。だから、超健康のマッサージ体操は、筋肉や、各部位のつながりを意識しながら、マッサージ、体操をするのだ。」

 

<体を内側からマッサージする>

「それは、体を内側からマッサージすると言う意味があるのだよ。」

「内側からマッサージ?」

「そう、その感覚を味わうことがポイント。だからゆっくり味わいながら動かすことが大事なのだ。また、体の全体を意識することで体全身の各部位のつながりを高める。さらにもう一つ、体の奥からのつながりも高めるようにする。それが一般のマッサージとの大きな違いだと思う。」

「内側からマッサージするなんて言われると、ドキッとした。でもまだ半分くらいしか分かっていない。奥からのつながりというのも分かりづらい。」

 

マッサージ体操のポイント

「それでは、マッサージ体操のポイントを言います。1つは体全体を動かすことが基本になります。次に体の内側から沸き起こるキラキラ輝くエネルギーを感じながら行うこと。

体の奥からエネルギーを起こさせる。それを体中に行き渡らせ、外のオーラまで輝かせる。そういう気持ちです。また体を1部分だけ動かす運動はできるだけ避けて、体全体の運動でマッサージすると言う意識が大事。」

 

「オーラってよく聞くけど、分からない。」

「僕も針治療で体験したのだけど、体の外側を覆っているもので、針が入った瞬間に白っぽい半透明の色でくっきりと見えた体験がある。普段は光のようなものとして見えるが、攻撃的な憑依霊と対面したときは、全身が覆われた感じがした。それもオーラに含まれるのかどうかはわからないが、ここでは肉体の外側を覆っている気体のようなものと思えばいい。」

「まあ、なんとなく。体から出ている光のようなものととらえていいかな?」

「うん。そんなものだろう。知性で全て理解する必要はない。」

 

<マッサージしたいところを動かす>

「一般のマッサージと違ってマッサージしたいところへ体全体を使って手足を導くのがこのマッサージ体操の特徴といえるだろう。マッサージ屋さんでは自分の体はじっとしたまま施術師の手や体が動くのだけど、自分でするマッサージ体操はマッサージしたい所へ体を動かして、使用する手や足を導いてコントロールする。また笑顔で行うこと。笑顔は体全体を弛める。弛めた状態で体を動かすとその効果は高まる」

「意識が大事なことは分かったので、具体的にどういうことをするのか教えてくれるかな。」

(次回に続く)

 

超健康体操(1)

( 前回より続く)

「私が50年もかけて自分の体を元の体に戻そうとあらゆる努力をしてきたと言うことを知っているかな。」

「いや、いつも元気そうだけど。」

「50年前私が東京から帰ってきたとき、隣の人は、隣の兄ちゃんいつ死ぬかなと思ったらしい。」やせて青白く皮膚から粉が噴いたような、かさかさした肌をしていた。その時私は気づいてなかったのだけど筋肉が硬直してしまっていて、血行は極めて悪くなっていた。持っているものを落としてしまったり、直前の記憶を無くしたり、くずしたバランスを回復できなくて、はしごから落ちたり、一日に一握りの玄米の粉だけしか食べられないという日もあった。その後指圧、鍼灸、気功、ヨガ、温泉などで、少しずつ回復していった。」

「そんなことがあったのか。知らなかった。」

「数年前、すっかり回復していると確信していたが、突発性難聴になって指圧治療を受けた時に、50年たった今、まだ奥のほうに一般の人には見られない筋肉の癒着が残っていることを告げられた。この奥の癒着については過去に受けたあらゆる治療法で効果が見られない。そこでカムナガラの生き方で50年間の集大成ともいえるマッサージ体操をやり始めたんだ。紹介するよ。」

「カムナガラのマッサージ体操と普通のマッサージ体操はちがうのか?」

「うん、違う。見ただけでは気づかないかもしれないが、つながりを中心に行うところが全く違うものといえる。」

「つながり?何それ。」

「意識だよ。体の内側も頭の頂点から、足の裏、足先まで全てつながっている。腰と肩、首は別々のものではない。そして、環境ともつながっている。」

「環境とつながっているって?」

「そう、環境ともつながっている。気功はまわりに存在する気を取り入れるし、体は重力と無関係ではおれない。実際に、人は呼吸によって空気を入れたり出したりしている。食事をし、排便をする。」

「ふだん、あまり意識しないけど確かにそうだね。」

「で、どんなことをするのかな。」

(次回に続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カムナガラ(惟神)・古神道

「カムナガラの生き方をしてるんだって。カムナガラってどういうこと。」

「うんカムナガラっていうのは神ともにと言う意味なんだ。神と言うのはあらゆるものに内在している宇宙創造の神のことで自然の森羅万象の中に内在している神を意識して生活することなんだ。

今は誰もそんな生き方をしている人がいないので少し理解が難しいかもわからないね。でも古代にはそういう人たちがたくさんいて日本の古神道はそれを受け継いだらしい。つい最近までカムナガラを引き継いだ人たちがいたのだが、今はその最後の人たちも亡くなってしまったようです。私はその人たちから受け継いだのではなくてたまたまたまカムナガラの生き方を始めたんだ。その人たちは超能力があったようだけど、私にはないよ。」

「普通の生活とどう違うの。」

「意識が全意識(私の造語)と言って宇宙全体を意識する意識で生活のあらゆる行為を行う。つまり座禅なんかで仏や神を意識することを日常生活の中で行うのだ。」

「かなり難しくなりそう。」

「かなり難しい。だけど慣れればできる。昔は言葉がなかったから、全面的にその意識で生きていたのだ。だから特別な事でもない。

言葉ができると目先の事から教えて最後にカムナガラの意識になる。今はその時代が終わろうとしていて、また再びカムナガラの意識から日常の行為を考えると言う、そういう時時代になろうとしている。つまり法華経で教えたのと全く反対の方向からのアプローチだと言うことだよ」

「やっぱり、難しくない?」

「そう、かなり難しいと思うよ。今の時代だから。だけど実行するのはしやすい。人の元の生活のやり方に戻るだけだから。」

「具体的にはどんなことをするの。」

「まず環境とつながっていると言うことを知らなきゃいけない。そして見えない世界を意識しなきゃいけない。意識することで強いつながりのパイプを作る。」

「そんなことをしたことがないからピンとこないな。誰でもできることなのかな。」

「いやできない人も居ると思うよ。だけどできる人がやっていくと、できなかった人たちもできるようになる。そういうものなんだよ。」

「じゃあ、僕もできるかなあ。」

「十分にできるよ。」

「で、メリットは何?」

「メリットは間違った生き方をしなくなる。だから楽しい。」

「じゃあ、宗教団体でも作ろうというの。」

「そう、自分はどういう生き方をするべきか真面目にそういう考え方をする人は座禅とか宗教とかで悟ろうとしてきた。でも私がしているのは、宗教じゃなくて特別な教えもない。元の人間に戻って、本来人間が持っていた習慣を取り戻っして活き活き、楽しく生きようとするだけなんだ。」

「?」

「元に戻るだけなんだからできないことをしようと言うのではない。過去にやっていたことを忘れてしまったが、とても大切なことなので、またやり始めようと言う事なんだ。

だけど、法華経なんかで最後に教えることを最初にやろうと言うのだから戸惑うと思う。」

「…」

「ことばで直接説明できる内容じゃないので、誰も説明してこなかった。でも、体験すれば分かってくる。まず、体験が必要だ。」

「体験ってどうするの?」

(次回に続く)

法華経16(人の原点・奉仕)

「人が最高にしあわせになれるのは奉仕のときですね」友人がそう語りかけました。

「そうですね。創造神が人を創ったのは、自分の創造世界の一部に、人に大いに活躍してもらうためで、人はその原点で創造神に奉仕する心を持って創られているからね。」

「その奉仕の喜びを書いた本がありますよ。谷崎潤一郎の『春琴抄』です。薄い本ですからすぐ読めます。いちど読んでみてください」と言われました

大阪道修町(どうしょうまち)の薬種商の娘、鵙屋琴(もずやこと)と丁稚、温井佐助(ぬくいさすけ)との恋物語?です。琴女は器量よしで、読み書き、芸も人よりぬきんでて、両親は他の兄弟にぬきんでてこの子を寵愛した。ところが、九歳の時に失明した。失明のあと、四歳上の佐吉が奉公に入った。佐助は琴女の手を引くことになります。

琴女は御嬢さん育ちの上、盲人特有の意地悪さも加わって、佐助は琴女の顔つき、動作を見落とさないよう、油断のひまがなかった。手を引くときに、柔らかい小さな琴女の手を自分の掌にのせて、佐助は感じる心があったが、相手は雲の上の人。しかし、ときが立つ中で二人は肉体的に結ばれるが、琴女は自尊心ゆえ、それを隠し通して佐助との仲を認めない。

その後、琴女の寝室に忍び込んだ賊に琴女は顔に熱湯をかけられ、大やけどを負う。みにくくなった顔を人目に見せず、佐助に見られることをいやがる。佐助はそれを知って自分の黒目を刺して自分も失明する。、

「ああ、これが本当にお師匠様(琴女)が住んでいらっしゃる世界なのだ。これでようようお師匠様と同じ世界に住むことができた。」と思った。

「誰しも眼が潰れることは不仕合わせだと思うであろうが自分は盲目になってからそういう感情を味わったことがない。寧ろ反対にこの世が極楽浄土にでもなったように思われ、お師匠様とただ二人生きながら蓮(はす)の台(うてな)の上に住んでいるような心地がした、それというのが眼が潰れると眼あきの時に見えなかったいろいろのものが見えてくる。お師匠様のお顔なぞもその美しさが泌み泌みと見えてきたのは目しいになってからである。

その外手足の柔らかさ肌のつやつやしさ、お声の椅麗さもほんとうによく分るようになり、眼あきの時分にこんなにまでと感じなかったのがどうしてだろうかと不思議に思われた。

取り分け自分はお師匠様の三味線の妙音を、失明の 後に始めて味到し た。いつもお師匠様は斯道の天才であられると口では云っていたものの漸くその真価が分り、自分の技量の未熟さに比べてあまりにも懸隔があり過ぎるのに驚き、今までそれを悟らなかったのは何という勿体ないことかと自分の愚かさが省みられた。

されば自分は神様から眼あきにしてやると云われてもお断りしたであろう。お師匠様も自分も盲目なればこそ眼あきの知らない幸福を味わえたのだと。佐助の語るところは彼の主観の説明を出でず、どこまで客観と一致するかは疑問だけれど、も余事はとにかく春琴の技芸は彼女の遭難を一転機として顕著な進境を示したのではあるまいか。

いかに春琴が音曲の才能に恵まれていても人生の苦味、酸味を嘗めて来なければ、芸道の真諦に悟入することはむずかしい。彼女は従来甘やかされて来た。他人に求むるところは酷で自分は苦労も屈辱も知らなかった。誰も彼女の高慢の 鼻を折る者がなかった。然るに天は痛烈な試練を降して生死の巌頭(がんとう)に彷徨せしめ、増上慢を打ち砕いた。思うに彼女の容貌を襲った災禍はいろいろの意味で良薬となり恋愛に於ても芸術に於てもかつて夢想だもし なかった三昧境があることを教えたであろう。」

創造神である「大生命」、法華経のいう「仏」、「仏」が内在する全ての被造物(存在)、そのどれに奉仕しても人は最高の歓びを感じます。今、その環境で自分がすべき奉仕を感じ取り、実行していく。外から見れば苦しみにしか見えないこともあるかもしれないが、実は当人にとっては最高の歓びとなるようです。自分をめくらにしてまで琴女に奉仕した佐助。何も求めなくても最高の幸せであった。これを書かれた谷崎さんは、読者に法華経の真髄を味わせたかったのでしょうか。

 

法華経15(行法経・懺悔)

「目を閉じて、自分と「仏」は一緒にいるのだと自覚しても、眼を開けると現実の世界に意識がかわり、「仏」はどこかに消えてしまう。自分はまだまだだと反省してさらに「仏性」を磨き上げることを懺悔と言う」と、『法華経の新しい解釈』(庭野日敬著)に書かれています。

日本古神道の「かむながら」は森羅万象、全ての存在に神を見、神とともに生きるという生き方をしました。学者たちは、これを多神教だといっていますが、全てに存在する神は唯一の神、創造神であり、全てに偏在する神ですから、一神教です。この生き方は目をを閉じなくても神が見えているのです。意識が神に繋がっている限り、いつも「創造神」であり、「大生命」である神が内にも外にも見えています。

古代において日本人の祖先はこのように「大生命」(「仏」)に意識がつながって生活していました。外国においてもそういう時代があったのでしょう。日本では言葉ができてからもそのような生き方をしている人びとがあったようです。 古神道「かむながら」として知られています。

どの宗教も原点に向かうのですね。「仏性」を洗い出す。「仏性」を磨き上げる。という言葉が紹介されていますが、私は、全ての存在を通して、「大生命」と強くつながる。繊細につながる。さらに強い愛でつながる。さらに多くの存在と広くつながる。そのような意識を持ちたいと思っています。