会長ブログ | 大阪府八尾市の美家古

日別アーカイブ: 2015年7月23日

大阪市八尾市恩智・融通念佛宗来恩寺

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来恩寺は、現在地の融通念仏宗来福寺と元真言宗、当時融通念佛宗恩覚寺(桜公園の東にあった)が一つになって明治38年にできた比較的新しいお寺です。融通念仏宗です。初代の芳雄上人からは、私も大学生の頃に、以前のブログで紹介した「天王の森の話」をお聞きしました。学者さんで、寺子屋のようなものをされていて、私の父も母も習っていました。融通念佛宗一番の学者と言われ、住職の学校である歓学林で教鞭をとられていたそうです。

ご長男の竹岡八雄さんが後を継ぐ予定でしたが、三重大學の名誉教授になられて、次男の不二雄上人が後を継がれました。今回、現役を退かれた奥さんからお寺のことをお伺いしました。

奥さんは、学校の先生で、ご主人の不二雄さんも学校の先生でした。ご長男竹岡八雄さんがおられたので、お寺を継ぐとは思わず嫁がれたのですが、ご主人が大念佛宗のお寺を継ぐとなると、すぐに教職を退かれて寺の仕事に専念されました。ご主人が退職されるまでの間は、私の家も来恩寺の檀家なのですが、観音寺の丹山和尚が檀家参りをしてくださったそうです。この時に私の両親と丹山和尚とのご縁ができたのですね。

奥様も戦争を体験した世代です。学生の頃、学徒動員で南港の軍需工場で働いていた時空襲があり、汽車も止まってしまって、帰り道も分からない中、生駒山をめがけて実家に走り帰ったそうです。

帰りの道、堂島川ののほとりはくすぶった家、転がった死体がありました。1945年、奥さんが15歳くらいのときです。生き残った人たちがこの後、日本の復興に全力をあげます。来恩寺は、はじめは本堂しかなく、初代芳雄上人が大阪から、山門を持ち帰られたそうです。教職を退職された不二雄上人と檀家の人たちが協力して、本堂の瓦の葺き替え、客殿、厨の建て替え、十三重の塔の建立などされました。もちろん、この奥様の影の支えがあってのことだったと思います。

竹岡文庫2平野本山に作られた竹岡文庫

不二雄上人は本山の様々な役を歴任されました。また、紫綬褒賞を受けられた長男竹岡八雄さんの大量の仏教書籍とその重い本を収納する書庫を平野本山に寄贈されて、本山の中に竹岡文庫が作られました。

紫金職おねり

前住職の不二雄上人は昨年亡くなられましたが、権大僧正という、大僧正に次ぐ位が戒名にありました。紫金職を与えられて、おねりをされている様子です。

晋山式2 (2)仏画2

いまは、哲雄上人が住職ですが、写真はその晋山式の様子です。仏画が好きなようで、本堂にその作品がいくつか飾ってあります。また、その子供さんの淳雄上人も檀家参りをされていて、檀家さんから「あっちゃん」と呼ばれて、とても人気があります。私もすべての檀家さんを温かく受け入れる度量をもっておられると感じて、先を楽しみにしています。