会長ブログ | 大阪府八尾市の美家古

月別アーカイブ: 2017年3月

大和川の付け替え2

大和川のつけかえの結果、いままでの川の水が利用できなくなった地域は、干ばつなどの被害に苦しみました。今回は弓削村の庄屋・西村一郎右衛門さんの話です。

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志紀の25号線とJR大和路線の間にその記念碑があります。次のように書かれています。

「今から270年前にに大和川は現在のように付け替えられた。そのため旧大和川沿いのこの地方では水の便はわるくなった。村々の庄屋らは相談して幕府に水路の新設を嘆願し続けた。

ある年大干ばつがあった。農民たちは大和川の水を少しでも流してほしいと百方奔走した。この時弓削村の庄屋西村市右衛門は幕府の許可もなく工事をしたことをとがめられ、大阪城で処刑された。」

幕府は農民の生活を思いやることなく、一方庄屋は農民の生活に命をかけていたのですね。

続く

大和川の付け替え1

初めて地元の歴史の教えを乞うたのが大庄屋の末裔の坂野さんです。私が「何も知らないので。」というと、最初の一言、「この地域の歴史を語るにはまず大和川の付け替えの話から始めなければならないとおっしゃいました。

そのことで、私のブログの歴史は大和側の付け替えから始まったのですが、先日、知人に東大阪の歴史を教えていただきたいというと、『中甚兵衛』(中甚兵栄衛プロジェクト)の本をいただきました。

この事業のおかげで、柏原、八尾、東大阪は洪水の被害からまぬがれだけでなく、旧大和川の川底の埋め立てにより、新たにできた土地とその土地に植えた綿のために、全国的に河内木綿が有名になり、木綿の着物だけでなく、綿ふとん、綿実油、油粕などの副産物に至るまで、お金になって、この地域の人々に豊かな富を与えたのです。

中甚兵衛はこの地域の人々にとって福の神でした。

大和川付け替えの嘆願書ににせの判子をついたことがばれて入水自殺した三郎右衛門、江戸に行って治水調査の約束をとりつけたものの、病で息をひきとった、太兵衛。このような人々の命がけの努力もありました。

何事も大事業には、人の命にかかわることが多いのですが、これは体を亡くした後に、魂の活動による行為が行われることを示唆するものでしょうか。キリスト教のイエス、天理教の中山みきもそうでした。

続く

循環系社会から損得社会へ(人の使命)5

引き続き、『臨死体験が教えてくれた宇宙の仕組み』(木内鶴彦著)から紹介します。

木内さんはさらに膨大な意識の中を未来にも行かれて未来の医療を見てこられました。私は資本主義に変わる新しい社会の一つの姿の暗示を感じました。人が与えられている能力の内、これからは見えないものにアクセスする時代がくるのだと思っていましたが、その一つの姿を見せていただきました。

「人間をMRIのようにドーナツ型の機械に入れて、その人に固有の波動を浴びせます。すると薬を飲んだり、手術をしなくても、健康が取り戻せるのです。(中略)

波長が同じでも波の高さ、つまり振幅が大きければ、それだけエネルギーが高いことになり、振幅が小さければエネルギーが低い状態になります。

振幅がだんだん弱まってくるのは、エネルギーがうまく供給されていないか、病気になって弱っている状態です。ですから病気の人を元気にしようと思ったら、波の振幅を高くしてやるような働きかけをすればいいわけです。」

木内さんはこの波動治療の原理を弱くなった振動を同じ波動の音叉が強くよみがえらせるという性質を利用して説明されています。

見えない「波動」を調えたり、エネルギーを与えることで振幅を正常にもどしたり、これは気功やレイキ治療の一部を機械にさせるものです。いままでは見えないためによくわからなかった世界が科学で解明されて主流になっていく時代が来ようとしているのですね。

ケータイのインターネットも人類の共通意識というような見えないものが、検索すれば見える状態で利用できるという形でつくられたといえましょう。このようなことが実現されて価値観が変わる時代がやってきているのですね。もちろん、潜在意識の共通意識とインターネットは同じものではありません。

新しい世界で自分の役割は何なのか、それはその役割を与えてくれる宇宙の元を意識しなければわかりません。みんなが宇宙の元を意識する時代になれば、価値観はまったく変わると思われます。

ここに損得社会の終末を迎えて、いままでの考え方の延長線ではこれからの時代を理解することはできないでしょう。いま、多くの覚醒した人が口にするのは「根源の愛を実行する」ことです。きっと「根源の愛」に満ちた素晴らしい時代になるのでしょう。

「根源に対する役割」を「根源の愛」をもって実行する。これがこれからの時代のキーワードなのでしょうか。

 

循環系社会から損得社会へ(人の使命)4

引き続き、『臨死体験が教えてくれた宇宙の仕組み』(木内鶴彦著)から紹介します。

「地球は何十億年もかけて、生き物が住みやすい環境をつくってきました。そのバランスについて、私たちはもっと真剣に考えるべきです。最初は放射線物質で覆われていた地球をさまざまな生き物が現れて、きれいな地球に変えていきました。そのバランスは絶妙としかいいようがありません。

まず、放射線をえさとする生物が現れ、有害な放射線が除去されました。次に植物が生まれて、二酸化炭素で覆われていた世界に酸素が満ちてきました。(中略)

私たちは自分たちの損得のために原子力発電をつくって、放射能汚染をまき散らすようなことはしてはいけないのです。原子力を推進する人たちは、何十億年もかけてつくってきたこの地球を、また元の放射線だらけの環境に戻すつもりでしょうか。」

「(中略)」の部分で木内さんは二酸化炭素と酸素のバランスを保つ地球の絶妙なしくみを説いておられます。そのあたりの興味がある人はぜひこの本を読んで下さい。地球の歴史に比べて人の歴史はまだわずかなのですね。失敗を重ね、思考錯誤を繰り返しながらよちよち歩きを始めたばかりなのかもしれません。私は全知全能の存在を感じて感動しました。そして人の使命とは何であるかを体感した気がします。

知性の発達は私たちの物質的生活を豊かにしてくれました。原子力のような大きなエネルギーを利用できるようになるなんて当初は感動ものだったのでしょうね。しかし、完全にコントロールできないうちに実用化してしまったのですね。不完全極まりない知性に頼って行動してきたところに問題があったようです。

それに比べて全知全能の存在のすることは想像もできない素晴らしい行為だと言えます。いま、意識の転換が求められているようです。地球規模のおおきな過ちを起こさないためには、知性信仰(?)を止めることです。人の持つ奥深い能力で全知全能の存在を強く感じながら全知全能の存在とともに歩む習慣を身につけることです。

 

 

循環系社会から損得社会へ(人の使命)3・八尾市恩智

引き続き、『臨死体験が教えてくれた宇宙の仕組み』(木内鶴彦著)から紹介します。

「そうやって、自然と共生しながら、日本人の祖先たちは地球の生態系のバランスをとる営みを続けていました。

しかし当時日本には狩猟型の民族もいました。狩猟民族は食べ物がなくなると、農耕民族を襲いました。日本人はなんとか彼らと折り合いをつけ、一緒に生活できるように工夫しました。狩猟民族には動物を飼育してもらうなどの役割をになってもらったのです。

そして日本でも世界のあちこちでも、村や都をつくって集団で生活する循環系の社会が成立していきました。ところが時代が変わってくると、都を乗っ取ろうとする争いが生まれました。都同士の戦争も始まり、さらにこれに自我の現れが加わってきます。

そのあたりから本来の使命が忘れられていきました。そのくり返しが顕著になっていって、近年では宗教戦争や、民族戦争さらには経済戦争へと形を変えていったのです。

いまの社会は完全に一部の人間に牛耳られた、損得だけの世界になっています。もともと人間は自然とともに暮らし、地球の生態系のバランスをとるという使命のために生まれてきたのに、その目的を見失ってしまい、目先の損得や物質的な豊かを追い求めるようになってしまいました。」

木内さんは、その結果人間はどこまでいっても満たされず、懐疑心でいっぱいだと言っておられます。そういった点では、この八尾市恩智という地は、町との交流が比較的少なく、いまだに2000年以上続く家とその伝統を守る組織が残っており、ときにはうっとうしく感じるほどの精神的なつながりが強い地域で、しかも少数の姓で親戚関係ががんじがらめになっている特殊なつながりを持つ地域です。時代の流れや町や時代の影響が少な目です。損得だけの交流はきらわれているところもあります。そういう点ではありがたいですね。

資本主義社会も世界規模で行き詰まりを見せています。ロシアでは一部の州で国民に土地を分け与えて自給自足型の生活ができるチャンスを与えているそうです。この点でも八尾市恩智は農家の多い地域で戦時中もそうでしたが、いまも自給自足のできる家が多くあります。

これからは行き過ぎて人びとを苦しめる段階に入った資本主義は崩壊の道を歩み、人びとは新しい価値感を持ち、お金に頼らない生活を見出していくでしょう。そういう流れとして、恩智では定年退職したサラリーマンが年老いてきた親の農業をひきつぎ、また、事業に行き詰った人が農業にもどり、若い人でも損得だけのために追い回される会社勤めが合わないといって、農業を継ぐ人が増えてきています。

循環系社会から損得社会へ(人の使命)2

引き続き、『臨死体験が教えてくれた宇宙の仕組み』(木内鶴彦著)から紹介します。

「この時代、日本人はすでにいろいろな技術を持っていました。たとえば田畑に炭素棒である炭を打ち込むことによって、空気中の窒素を土中に呼び込むという、いま考えると驚くべき科学的な方法を導入していました。

いまは化学肥料の窒素をまいて作物を育てますが、そんな化学物質で土壌を汚染しなくても、炭を土中に打ち込むという簡単な方法で、容易に窒素が取り込めるわけです。

畑に打ち込む炭のつくり方も画期的です。まず石の上に砂を置いて、石ごと高温で熱します。そして穴の中にこの熱く焼けた砂と木を入れて、さらに上から焼けた砂をかぶせて、密閉した状態で木を蒸し焼きにします。これが質のいい炭になります。」

すごいですね。おそらく潜在意識からの働きかけがあったのでしょう。私はこれまで古代の遺跡からの鉄器を見てどうしてこんなことを思いついたのかと驚いていたのですが、鉄の利用は農業のこの炭つくりからさらなる進歩を遂げたのですね。続いて木内さんです。

「その炭を積み重ねてふたたび焼いていくと、ひじょうな高温になります。そこに砂鉄を流し込んで、鉄をつくったのが『たたら』の文化です。それらは島根県周辺にまだ残っています。とにかくいまから3500年前も前の日本で、すでにもう鉄を使う『たたら』の文化が生まれていたのです。」

製鉄技術は6世紀半ばに朝鮮半島からもたらされたものと思っていましたが、その倍も前の時代に日本にあったのですね。(次回に続く)

循環系社会(縄文時代)から損得社会へ(人の使命)1

『臨死体験が教えてくれた宇宙の仕組み』(木内鶴彦著)に面白い歴史が書かれていました。紹介します。

「人類が誕生したばかりのころは、まだ皆が初々しい使命感を持っていました。原始時代、文明はまったく発展していませんでしたが、使命感はいまより強かったと思います。古代の人間はその役割にそった進化を遂げてきました。最初は人間たちはバラバラに暮らしていましたが、そのうち集まって村をつくり、農業を中心とした循環系の世界をつくり出していきました。

日本の場合、最初に循環系の『ムラ』をつくったのは『スサ』という人物でした。おそらくこの人が須佐之男命(スサノオノミコト)だったのではないかと思います。いまから3500年前の日本にいた人間です。私は過去に戻ったとき、この人の頭に入り込み、循環系のシステムについてヒントをもらいました。

八尾市恩智にも縄文時代の遺跡がありますが、『スサ』が生きた時代、日本には農耕型の村が生まれていました。農耕民族は都をつくる、って囲いをつくって、その中で生活を始めました。周囲には山があり、川があり、豊かな自然がありました。彼らはそこで田畑を耕し、山を育て、動物や植物たちと共生しながら、見事に循環する生活圏をつくっていたのです。

このシステムを日本中に広げようと奮闘していたのが『スサ』だったわけです。」

木内さんは、二度臨死体験をし、一度目は他者の例と同じように「三途の川」との出会いですが、二度目は、膨大な意識体にアクセスして、さまざまな情報を得るという体験をされました。

歴史はたいてい、後世の人によって作り変えられ、伝えられたものですから、善悪等は残された勝者が創り上げるものです。優れた人物は「神」となって子孫の繁栄力に利用されました。いま、神として神話の中で伝えられた須佐之男命は、見事に循環する生活圏を日本中に広げようとした『スサ』だったのですね。

これからの歴史は、変わると思います。木内さんのように膨大な意識体にアクセスすることで、あるがままの歴史を知ることができるようになるのではないでしょうか。これからの時代は、臨死体験のような恐ろしい体験をしなくても、膨大な意識体にアクセスできるようになると思われます。おもしろくなってきましたね。

(次回に続く)

 

 

 

美家古(みやこ)と西京(にしのきょう)

今日、ある勉強会で二代目が引き継いだ60年ほど前の美家古の事が話題にのぼりました。そのとき私は、初代の柏本さん夫婦が二代目の父の店を手伝っている姿がくっきりと脳裡に浮かんだのです。その顔の表情は不思議なほどリアルで、柏本さん夫婦がいま何かを言おうとしているようにも思われました。

先日発見されて新聞をにぎわした八尾市東弓削の由義寺の塔の基壇は、一辺約20メートルの正方形。奈良の大安寺の七重の塔と同規模。八尾市教育委員会は大安寺と同規模の高さ70メートルと推定しました。

ときの称徳天皇は、法王になった道鏡の故郷を西京(にしのきょう)と位置付け、由義宮と呼ばせました。今回の発掘で、まぼろしの西の京(みやこ)は、その存在が確定されたのです。

実は、「美家古」の名前はこの「西の京(みやこ)」の「みやこ」なのです。当初は「都庵(地元の人は『みやこわん』と呼んでいた)」と呼ばれ、二代目の父のときに「美家古庵(みやこあん)」の漢字に変わりました。三代目の私になって「庵」の字がとれて、「美家古」になりました。初代の柏本さんは、都塚に隣接する「恩智」に店をつくりましたが、弓削の隣、「都塚」に住まいがあったので店名を「都庵」としたのです。1926年(大正15年)のことです。

私がこのあたりの歴史を紹介するブログを書くことになったのもこの「みやこ」と関係があったのかもしれません。このタイミングで弓削の「西の京(みやこ)」が発掘されるなんて。もちろん、ブログでは昨年に弓削の道鏡も取り上げています。

 

見えない呪の世界11(膨大な意識体)

『臨死体験が教えてくれた宇宙の仕組み』(木内鶴彦著)に以下のようなことが書かれています。

木内さんは、通常の臨死体験、三途の川とか御花畑などといった体験以外に、さらなる体験をされました。

「二次臨死状態になり、肉体から意識が離れたとき、私はこの『膨大な意識体』の存在をごく身近に感じました。

私がまごまごしていたら、きっとすぐに私は『膨大な意識体』に吸収されていったのだと思います。しかし私は吸収されまいと、その存在に反発しました。もっと正確にいうと、『木内鶴彦』という意識を持ったまま、『膨大な意識体』にアクセスし、情報を得ようとしたのです。(中略)

『膨大な意識体』と一体になり、その中の情報に触れたという表現のほうが正しいかもしれません。(中略)

『膨大な意識体』があるのは五次元の世界です。その様子は、三次元の言葉で表すなら、空間ともいえますし、ガスのような存在ともいえます。五次元の世界ではすべてを『膨大な意識体』が満たしており、バランスがとれた完全な世界をつくっています。(中略)

しかし完璧に見える五次元の世界でもときどきひずみが生じるのです。(中略)

『膨大な意識体』がある五次元の世界は、完璧ですが、同時に無でもあります。(中略)

そこにひずみが生まれると、空間が動きます。空間はひずみのない元の形に戻ろうとするので、ひずみが揺らぎ、だんだん解消に向かいます。そして完全にフラットになったとき、元の五次元の空間に戻るわけです。(中略)

つまり三次元の世界は五次元の世界に変化を与え、波立たせるために生まれているのではないでしょうか。」

一次元は点、二次元は線、三次元は空間、四次元は時間を加えたもの、五次元は意識。そして、この世界に『膨大な意識体』が存在します。

木内さんは木内さんの意識として『膨大な意識体』の中の情報にアクセスしたのですね。それでは呪の世界に活動基点を置いている神仏たちはどの次元に存在するのでしょうか。

そして私たちはどの次元に存在するのでしょうか。

本来私たちは、この全ての次元で生きているようです。『膨大な意識体』とは本来、全ての存在がつながっていますし、神仏とはマントラでつながれるようです。本来つながっている五次元の世界ともアクセスしながら生きるのが私たちの本来の姿なのでしょう。

 

 

見えない呪の世界10(ガヤトリーマントラ・ハレークリシュナマントラ)

「オーム

ブール ブワッ スワハ

タット サヴィトゥール ワレーニャム

バルゴー デーヴァッシャ ディーマヒ

ディヨー ヨーナ プラチョーダヤート」

これがいま、世界で最強のマントラとされている「ガヤトリーマントラ」です。太陽系を動かすサヴィター神に呼びかけるものでその効果は確実だといわれています。このマントラを唱えると心身の波動がきれいになり、邪気を寄せ付けないそうです。しかし、唱え方が大事で、まちがった方法で唱えると、逆に魔に取りつかれてしまうという話もあります。こわいですね。

それなら、宇宙の元の神であり、自分自身の中にいる「クリシュナ神」につなぐ「ハレークリシュナマントラ」を唱える方がいいですね。これは唱え方で凶になるような作用はありません。

意識している今の自分が変化の一過程にいる一時的な姿であって、本来の自分ではないから執着しないこと。本来の自分はクリシュナ神と繋がっていること。その意識のもとで、自分を含めあらゆるものに「喜びの波動」を見る。その上で「ハレークリシュナマントラ」を唱えれば、その喜びの波動こそ、本来の波動であり、それは次第に心身を満たすようになり、本来の高い波動の自分にもどります。

この方法こそ、安全で確実に自分を浄化し、宇宙すべてに喜びを与える効果があります。素晴らしいですね。

ハレークリシュナマントラ:

ハレークリシュナ、ハレークリシュナ、クリシュナ、クリシュナ、ハレーハレー、ハレーラーマ、ハレーラーマ、ラーマ、ラーマ、ハレーハレー