会長ブログ | 大阪府八尾市の美家古

月別アーカイブ: 2017年4月

大黒天(7)シヴァ神・ヨガ・相川圭子

大黒天はシヴァ神の化身だと紹介しましたが、そのシヴァ神のことが、ヒマラヤ秘教の正統なる継承者・ヨグマタ相川圭子さんが『宇宙に結ぶ愛と叡智』に書かれていますので紹介します。

「シヴァは、無知や苦しみ、悪を破壊するエネルギーです。そして平和をつくり出していくエネルギーです。深い静寂の中に心理が現れ、自由になることができるのです。それが本当の幸福です。

シヴァはムクシャ、サマディ(解脱)のエネルギーであり、悟りのエネルギーです。人々が苦しみから解放されることを願い、無知から解放への、その術(すべ)を示すヨガを生み出しました。常に揺れ動く心、悲しい心などの心の苦しみは、心理を知らないからあるのです。」

シヴァ神が苦行をおこなっていたことは知っていましたが、それが私たちのためだったとは知りませんでした。しかも、宇宙根源の神と私たちを結ぶためにヨガの行法をつくったのですね。いまヨガというと難しい形をつくらなければならない体操というようなイメージです。しかし、体を知り、その奥に存在する宇宙根源の神を知るためのものだったのですね。

相川圭子さんありがとうございます。

 

 

 

大黒天(6)三面大黒天・毘沙門天

幼いころから信貴山参りをしていますが、ここに祀られている毘沙門天とはどういう神様なのでしょう。ずーと知らないままでしたが、いま70才近くなって初めて知りました。

「今から1400年前、聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に到りました太子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かりました。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でありました。太子はそのご加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建、信ずべし貴ぶべき山『信貴山』と名付けました。」(信貴山朝護尊寺公式サイトより)

この毘沙門天という神様は、古代インドのミトラ(ミスラ、ミトラス)神が地中海地方に入ったのち、古代ローマで隆盛したミトラス教の神様、太陽神ということです。キリスト教が盛んになると消えていったようです。日本では多聞天とも呼ばれ千の耳を持つとされています。また毘沙門天は未来仏の弥勒菩薩(マイトレーヤ)なのだそうです。本地垂迹ではえびすです。日本では形を変えて存続していくのですね。そのかわり、訳が分からなくなってきます。

毘沙門天さんの真言はオン・ベイシラ・マンダヤ・ソワカです。

今回は初代から引き継いだ、布袋さん、大黒天さん、三宝荒神さんのことが分かりました。ありがとうございます。

 

大黒天(5)八尾にある三面大黒と秀吉の千成瓢箪

三面大黒とは、大黒と毘沙門天、弁財天が一体になった神です。八尾でも結婚式場や諸会場として貸しておられるところで祀られています。「三面大黒天王会」と書かれています。

三面大黒天というのは、秀吉の出世守り本尊として知られています。

秀吉は挫折ばかりの少年時代に三面大黒天に出会います。直感で自らの守護神と定め、身近にその肖像を置くようになってから運が開けてどんどん出世し、最後には天下人にまでなります。どんな願望も聞き届けてくださるという大黒天にさらに、毘沙門天、弁財天が加われば願いは次々と叶えられるのですね。

弁財天はインドのサラスヴァーティーで、学問・文芸・音楽の神で富とも結びついています。真言「オン・ソラソバティ・ソワカ」というのは「オン・サラスバーティー・ソワカ」のことなのですね。

秀吉の千成瓢箪との関連でこんな話があります。ああ、それで秀吉が千成瓢箪なのかと理解できました。私のように知らなかった人のために紹介しておきます。

美濃の斎藤攻めで難航している織田信長に木下藤吉郎は背後からの奇襲を進言します。このとき、城の侵入に成功し、火を放ちました。藤吉郎が信長本体に送った合図が槍の先につけた瓢箪だったのです。これが木下藤吉郎改め豊臣秀吉の馬印となって、三面大黒天のおかげで次から次へと戦いに勝って、そのたびに瓢箪を増やしていったので秀吉の馬印を千成瓢箪というようになったのだそうです。

いいかえれば、三面大黒天の加護が「千成」と表現できるほどだったといえます。秀吉が誰にもできなかったような出世を遂げた背後には、三面大黒天の働きがあったのですね。

 

大黒天(4)台所の神・初代から伝わる大黒天

大黒天は「美家古」(初代の屋号は「都庵」)の初代から引き継がれた神でもあります。この記事を書くまで調理場にどうして大黒天がお祭りしてあるのかよくわかっていませんでした。七福神のひとりだからかなとぐらいに考えていたのです。

しかし、インドではシヴァ神は戦いの神だけではなく、台所の神としても祀られているのだそうです。「がってん」です。

また美家古の調理場には布袋さんもお祀りされています。真言は「オン・マイ・タレイヤ・ソワカ」ですが、先日金剛山に登った時に道端に同じ真言が目にとまりました。弥勒菩薩の真言です。布袋さんは寺を持たなかった中国の僧でしたが、弥勒菩薩の垂迹、化身だとも言われています。

どうして調理場に布袋さんがお祀りされているのでしょう。真言三宝宗大本山清荒神清澄寺では三宝荒神の眷属とされているからかもしれません。調理場には三宝荒神さんがお祀りされています。荒神さんについても役小角が金剛山で修行中に、艮(北東)の方角に積雲がなびき、荒神が現れ、その地に祀ったといいます。

三宝荒神さんは火とかまどの神ですから調理場にまつられているのは当然といえます。

 

大黒天(3)行ってきました。

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忙しくて山登りができていませんでした。知人が金剛山に行ってきた話をしていたので、4月20日の私の休みは楠正成の千早城のある金剛山に登ろうと決めていました。その途中で駒ヶ谷駅の西側、石川の東にある大黒寺に寄りました。

住職さんに出会ったので、ブログに書きたいので写真をとらせてもらえるか尋ねたところ、本堂を開けて頂いて説明していただきました。

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中央が大黒天です。

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左が役小角です。

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右が弘法大師です。

「このあと金剛山に上る予定です。」

と話すと、

「役小角と反対のコースですね。」

とおっしゃいました。私は役小角が葛城山で大黒天に出会ったと覚えていたのでこのとき勘違いかなと思ったのですが、金剛山に葛木神社があったので、どちらも葛城地方ということで、特に区別はしていないのかなと受け取りました。頂上に役小角の行者堂がありました。

一日中、役小角に導かれているような気がしていました。楠正成の千早城での戦いのときは大黒天が楠正成を守ったに違いないと感じました。

登山のあと知人に聞いていたおいしい豆腐料理をいただきました。素晴らしい休日でした。ありがとうございます。

大黒天(2)駒ヶ谷・大黒寺

(前回より続く)

「小角はありがたさに夢中になり、宝珠を拾うと山を伝い谷を渡って、その後を追って行ったが、丁度小黒の里の山中まで来ると突然その姿を見失ってしまった。けれどその時フト傍らを見ると、先程示現した大黒天そのままの姿の石があったので、小角はこれこそ吾をここに導いた大黒天の形見であると思って、早速前刻の神のお告げに従って、その傍らにあった桜の木を伐って、これをもって大黒天の像を刻んだ。

そしてその付近に一堂を建立するとこれを本尊として安置し寺号も天道山大黒寺と名付け、小角はここで広く世間の正直にして不運な者に、秘法を以て福録長寿を授け救済に盡したところ、その霊験著しいので、これを聞き伝えた人々はいずれも福徳を授からんものと、我も我もと参詣し大黒天を尊信するようになったと言う。」

「正直にして不運な者に」と書かれていますので、大黒天にお参りした人々は福録長寿をいただいたに違いありません。しかし、シヴァ神のパワーは強烈で願は必ず叶えられるそうですが、その後信仰をおろそかにすると、眷属が許さないそうで、それを恐れる人はシヴァ神には願い事をしないと聞いています。

大黒天は室町時代に大国主命と融合して憤怒から微笑の表情に変わり、江戸時代には福徳財宝を司る神となりました。

大黒天の真言は「オンマカキャラヤソワカ」ですが、シヴァ神の真言は「オンナマシヴァーヤソワカ」です。この違いは何なのでしょう。

大黒天(1)駒ヶ谷・大黒寺

「役小角が葛城の山で修行していると、甲子のある日の事、急に天地が真っ青になり物凄い地鳴りがして、全山がグラグラと動き出した。何事であろうと小角が驚いて天を仰ぐと炭を流したような黒雲が、突然キリキリと切り裂かれ、その裂け目から忽ち五色に輝く美しい雲が湧きだした。しかもその美しい雲の上にアリアリと大黒天の尊い姿があらわれたので、小角はこの思い掛けぬ神の示現に思わず大地にひれ伏していると、やがて、大黒天は雲の中から小角に向かって

『汝の日頃の修行に愛で、福禄長寿が意の如くになる秘宝を授けてやるからこの後とも我が姿を彫み衆生に示して済度につくせよ』と言って右手に持っていた宝珠を投げ与え、そのまま再び乾の方へ飛び去った。」(一部漢字等現在風に変更して紹介しました)『伝説の河内』(松本壮吉著)

美家古の配達区域に羽曳野市駒ヶ谷がありますが、その駅の近くに小黒(おぐろ)という地名があり、そこに大黒寺というお寺があります。近くを通った時にどんなお寺だろうと入ってみたことがありますが、『伝説の河内』に大黒寺の縁起が紹介されていました。

役小角が建立した歴史の古いお寺だったのですね。甲子の日は変化が起きやすい日と言われていますが、この日に修行中の役小角に大黒天が現れたのですね。大黒天はもともとインドのシヴァ神で、破壊の神です。神々の中では最も恐れられたパワーのある神です。この時役小角は40前の力あふれた時で、シヴァ神から見れば頼もしい男に映ったに違いありません。

福録長寿が思うままになる秘法を授けたというのですから、役小角は当時の支配者階級の人と比べてあまりにも恵まれぬ衆生を救いたかったのでしょうね。

(次回に続く)

 

大和川の付け替え3

東大阪市今米や柏原市市役所の近くに中甚甚兵衛の碑には華々しい功績が讃えられています。

知人にいただいた本の最後は次のように締めくくっています。

「洪水にくるしめられてきた村の人々にとって、新しい大和川の完成はこの上ない悦びの日であった。しかし、その一方で新しい川を掘るために川の底になってしまった土地の持ち主の悔しさ。新大和川でも大雨の際に幾度か洪水の被害があり、甚兵衛自身も手放しで喜べなかったのではないだろうか。」

新大和川の完成後、甚兵衛さんは出家して仏門に入られたそうです。生駒山と上町台地の間を、奈良の初瀬川を源流に大坂の南から北に向かって、深野池、新開池、大川に流れ込んでいた玉串川、吉田川、長瀬川、東除川、西除川、平野川などの旧大和川。これらが大阪の南を西に向かってながれる新大和川となったのです。

大和川のつけかえは、この地域にとって後にも先にもない大事業で、この地域を大いに発展させました。しかもこんな大事業がわずか1年もたたないうちに完成したのです。不思議というしかありません。

変化があれば良くなるもの、悪くなるもの双方が生じます。悪くなるものに対しては、本来幕府が配慮して補うべきでした。できなかったというのは当時の幕府にそれだけの力量がなかったということでしょう。しかたのないことです。

中甚兵衛さんは、どのような気持ちで仏門に入られたのでしょうか。また、仏に何を祈られたのでしょうか。本には中甚兵衛さん行動が正しかったどうかは後の時代の人たちが決めることだと書かれています。

それなら私は声を大きくして言います。「あなたは素晴らしいことをされました。」と。「あなたは度重なる洪水から農民を救いたかっただけかもしれませんが、この地域全体を当初としては信じがたいほどに豊かにされたのです。被害を被った人たちも命を失った弓削村の庄屋さんもきっとこの結果を見て満足されていると思います。感謝します。本当にありがとうございます。