会長ブログ | 大阪府八尾市の美家古

月別アーカイブ: 2017年7月

『猿田彦(さるたひこ)と天鈿女命(あめのうずめのみこと)』(赤澤綱彦著)1

デジタル大辞泉によると、天鈿女命/天宇受売命は、

「日本神話で、天照大神(あまてらすおおみかみ)天(あま)の岩屋に隠れた際、その前で踊り、大神を誘い出した女神。天孫降臨五伴緒神(いつとものおのかみ)として従い、天の八衢(やちまた)にいた猿田彦神道案内をさせた。猿女君(さるめのきみ)の祖神。」

と、説明されています。天照とこの2神の関係はこういう関係です。この本を探し出して読み始めますと、私のことと白ひげさんのことがかかれていました。

「或る日、わたしたちは治療中の一人の患者さんに、『琵琶湖西岸にあります白髪袖社にお参りに行きますが、よろしければ一緒にお参りに行きませんか』と誘いを受けました。その患者さんは、大阪・八尾市では名の通った割烹・会席料理屋のご主人です。屋号を実家古」といい、先代社長の代より、大阪・堺市の女霊能師の先生に何かと相談に乗ってもらっているとのことでした。そして、その女霊能師の斎き記る神殿には、一柱の神さまが鎮座ましますとのことでした。その神さまは、もとは外宮(豊受大神宮)にお仕えしておられた神々 の一柱であったといいます。ところが、それほど霊格の高い神さまでもなかったらしく、ある不祥事を起こして、外宮から追放の憂き目に会われました。

そして、琵琶湖の西岸までたどりついて、ようやく現在の白髭神社のある場所に鎮座坐しましたが、そこでも安住の地とはまいりませんでした。
今度は、白髭神社の祭神にその地を追われて、行くあてもなくさすろうておられましたが、ようやく現在の女霊能師のところで鎮座坐しますことになりました。
わたしたちは、その女霊能師の先生の一行に加えていただいて、一緒に白髭神社にお参りさせていただくことになりました。
ところが、白髭神社へ参拝致しますと、何と御祭神は猿田彦大神ではありませんか。

わたしと明日香は思わず顔を見合わせ、二人ともおかしさをこらえていました。祭神が猿田彦大神であるならば、追い出されただけで済んだのはまだよかった方かもしれません。それはともかく、わたしと明日香は猿田彦大神との不思議な御縁を作っていただいた堺の神さまに感謝を申し上げて、心の中で手を合わせました。」

治療中の一人の患者さんとは私の事です。以上のようで、堺の霊能者に私が頼まれて、当時針治療を受けていた赤澤先生と霊能者の助手さんを一緒に白髭神社にお連れしたのですね。猿田彦と白髭さんは別の神で、白髭さんは、かなりあとの時代の神だったようです。

この赤澤先生の針治療で他の鍼灸院では体験したことのない不思議な2つの体験があります。

一つは針が入るか入らないかの瞬間に、私の全身のオーラが見えたこと。もうひとつは、建物の外の交差点の自動車が見えたことです。いずれも、皮膚の表面の浅い針でした。本の内容でも分かりますが、研究熱心な方でした。私は腕のいい先生との出会いが多かったのですが、このような体験は赤澤先生だけです。

(続く)

肩こりを知らない人・肩こりのひどい人・「かむながらの道」

体操教室のメンバーに肩こりを知らない人がいます。。人に按摩しても自分は疲れないというので、この人の按摩をうけると、エネルギーが強いことがわかりました

他の人との違いはなんでしょう。まず、自然体で温厚な性格。急いでものごとをこなそうとする地元恩智の人たちとは違ったものがあります。彼女の義理の父の評価は低かったようです。私の母は、この人とは全く反対で、数人分の仕事をこなしてしまいます。地元恩智の生き方の鏡みたいな存在です。男まさりの仕事をこなしてきました。しかし、たえず肩を凝らして、指圧やマッサージを受けていました。

私も母に似て、短時間で自分の仕事をこなして余裕をもつタイプでしたが、社会の中ではその余裕の時間は他の人の仕事を手伝うことで奪われ、つねに、私は肩こりのひどいタイプでした。いつのまにか疲れても休憩しない生き方になってしまいました。

人の体のしくみに驚愕して、創造神のすごさを知ってから、貸し与えられたこのからだを愛し、体に対する奉仕を実行していく中で、肩こりを知らないこの人との出会いは大きな意味をもっています。

筋肉の緊張がほぐれない状態をどのように回避していくか、人の原点・「かむながらの道」に戻りながら取り組んで、かなりの成果があがりつつあります。その方法はこの肩こりを知らない人の生き方と近似しています。それでいて、仕事の成果も上がる工夫に取りくんでいきたいと思っています。仕事も創造神に対する奉仕の一つですから。

白ひげ神社・猿田彦・道案内・かむながらの道

琵琶湖の白ひげ神社に参拝する二組の霊能者を車でお連れしたのですが、一人は私を猿田彦だといい、もう一人は霊能者個人の神社に白ひげさんをお祀りしていて、私にこの神さんはかわいそうな神さんだから、お祀りしてあげてくれと頼まれました。当時、私は二人の霊能者に頼まれたからお連れしただけで、なんの興味もなかったのでそのまますっかり忘れていました。

先日の出会いでいただいた琵琶湖の中に建てられた鳥居の写真を見ていると、いま「超健康法・かむながら」への道案内をしている自分の姿としっくりくるのです。

猿田彦は「日本書紀」で、天孫降臨の際に、道がいくつもに分かれるところで、天照大神が遣わされた邇邇芸尊(ににぎのみこと)を道案内したと書かれています。

次に話す話はなにを根拠にいっているのか記憶がありませんが、猿田彦が伊勢神宮の神官をしていたとき、巫女との深いつながりができて、それが不都合を起こすということで、琵琶湖の今の白ひげ神社のところまでこっそり追放されます。猿田彦すなわち白ひげさんは、海で漁をしていたときに比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ、溺れ死んだということにされたということで、かわいそうな神さまだと霊能者が私に伝えたのでしょうか。

しかし、私の夢の中での思いは、好きな女性と別れさせられた悲しみではなく、猿田彦が示した道(本当は歩く道ではなく、人が生きるべき道の事すなわち、日本古神道かむながらの道)を天照大神が理解しきれなかったことによる誤解に対する思いであったと感じられるのです。

それが頂いた写真が私に語りかけるもののような気がします。私はその時の「かむながらの道」をいま「超健康・生活瞑想」として人々に理解していただかなければなりません。本来の人の姿ですからけっして理解し難い難しい事ではないのですが、誰もがあまりふだん意識しないことなので興味を持ち難い世界です。それが難しく感じさせます。できるだけ分かりやすく、興味の持つ方法でお伝えしなければという思いを強くしました。

 

 

「万治」の石仏・「万」(全て)「治」る・「生活瞑想・かむながら」

前回に紹介したご夫婦が、「万治の石仏」を知っているかと聞かれました。知らないと答えると、正確なことはネットで調べてくれた方がよいとおっしゃいました。琵琶湖の写真と一緒に、この写真も届けてくださいました。

「万治」の石仏の「万治」は年号で万治3年(1660年)に建てられたことによる名前だそうです。

ブログでは、「1974年、たまたま諏訪大社の御柱祭を見学にこられた画家の岡本太郎さんや、作家の新田次郎さん方が感嘆されたことにより、一躍話題を呼び講演または雑誌等で全国に紹介されしられることになりました。」と書かれています。

誕生の由来として次のように紹介されています。

「明歴3年(1657年)、諏訪高島三代藩主忠晴が、諏訪大社下社春宮に遺石の大鳥居を奉納しようとした時のこと。命を受けた石工がこの地にあった大きな石を用いようと、ノミを打ちいれたおり、はからずもその石から血が流れ出た。驚き恐れた石工は大鳥居の造作を止め、あらためてこの不思議な石に阿弥陀様を刻み、霊を納めながら建立された・・とされているのがこの石仏です。」

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雪の上に出た御姿は上のようですが、全長は2m60㎝もあります。安山岩でつくられています。諏訪大社は諏訪国一宮。国内にある最も古い神社のひとつです。

なぜこの石仏の名前がでて、写真まで届けていただいたのか。

私はメッセージだと受け取りました。すなわち、今、私が自分に治療をほどこしているものは手のつけがたい奥のものまで含めて、「万(よろず)」、「治」りますよというメッセージです。

先日紹介した「生活瞑想・かむながら」では、宇宙の全てがつながる「全意識」を意識しながら、全ての行動をします。体も精神も宇宙のすべてにつながっていますが、体の中の筋肉もすべてが繋がっていることを感じながら動くと、筋肉緊張がほぐれて体が軽くなります。何事をするにも、手だけとか足だけとかいうイメージから脱して、体全体で行います。それが、「全意識」で行われますから、宇宙のエネルギーが働いて、究極の健康へと導いてくれます。

この「生活瞑想・かむながら」が、「万」の病を「治」して元の健康へと導いてくれるというメッセージだと受け取りました。

相対性理論・異次元・テレパシー(量子もつれ)

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琵琶湖の白ひげ神社の鳥居

高校の物理学の先生を定年退職された人からアインシュタインの「特殊相対性理論」の説明を受けました。ここで紹介する内容に関係するところだけ話せば、光速度不変の原理から、速度の異なる動くものの内と外では時間差が生じるというのです。速度の速いものの中では速度の遅い外のものより、時間の経つのが遅いので、ちょうど、浦島太郎の竜宮城のように、3カ月の滞在で外の世界にもどってみると、300年も経っていたというようなことが起きるというものです。

この話を聞いた後、私は次の約束の場所に移動するために車を運転していました。車の中で、この物質界と異次元界で光速にわずかな差が生じるようなことがあれば、神界と物質界の間で神が人間に比べて歳を取らないということもありうるなとイメージを膨らませていました。

到着してみるとそこでは、琵琶湖の白ひげ神社の話題が上がっていました。それは30年~40年前、私が頼まれて2組の霊能者たちを連れて行ったところです。私はその体験を思い出してその話に参加しました。

始めて訪れる白ひげ神社の前で、その景色は私が幼いときに夢に見た時から、ずーっと探し続けてきた景色そのものであったことで強い感動を味わったことを伝えました。ひととおり話が済んで別れましたが、しばらくしてご主人が戻ってこられ、琵琶湖の中に鳥居が写った写真をもってこられ、私にくださいました。

その写真は、30年前の体験を超えて、2000年以上も前の夢の時空に誘ってくれました。このご夫婦もテレパシー能力のあるかたで、私との間でこのような現象が起きたのでしょう。

最近、テレパシーが量子もつれという現象であるという説がでてきていますが、異次元世界がなんらかの理由で光速の微妙な違いのある世界だという発想もありうるなと思ったのでした。

超健康法・惟神(かむながら)の道10

 <超健康法・惟神(かむながら)の道5の「爆笑寸前のおなか」がよくわかりません。>

「爆笑寸前のおなかには喜びのエネルギーが起こらないのですが」と言われました。ひとによってちがうのですね。理解しやすいように体操のかたちで説明したのですが、かえって分かりにくくしたみたいです。ごめんなさい。私は意識で丹田に喜びのエネルギーをつくります。どのような方法でも構いませんから、丹田に喜びのエネルギーをつくっていただいたらいいのです。

また、手の動きをつけなくてできる人は意識だけで行ってください。分かりやすいようにと配慮したものですが、できる人は意識だけで行ってください。全て、手を使わない方が本来のものです。

<喜びと愛でセット>

宇宙の源のエネルギーは「喜び」と「愛」のエネルギーだといいましたが、この2つでセットです。与え続ける「愛」があってこそ受け続ける「喜び」があります。まわりに愛を与えてこそ、喜びが維持されます。

<「愛」のエネルギーを「全意識」に送り続ける>

「喜び」に満たされると同時に、「全意識」に愛のエネルギーを送り続けます。これは周りの全てに「愛」のエネルギーを送るという意味です。これで初めて「全識」との一体化が実現し、「全識」と同調できます。「超健康」を仲間たちに与え続けるのです。

<かむながら応援団>

「超健康」を仲間たちに与えることこそ、自分も周りも超健康になり、楽しい喜びにあふれた人生になるのです。理解していただいた人はぜひ、周辺の人たちと共に、「超健康」の人生を送って下さい。そういう意味で私と共に「超健康」をめざす人たちを「かむながら応援団」と呼んでいます。

これで超健康法・惟神(かむながら)の道」(1~10)シリーズをいったん終わらせていただきます。

超健康法・惟神(かむながら)の道9マッサージ2

<振動マッサージ>

気功にスワイショというのがあります。脱力しながら腕を振り続けるものです。これを<動かしながらマッサージ>で行います。人の体も宇宙の全ての物質もエネルギーで出来ています。エネルギーは振動です。振動でエネルギーと共鳴して元に戻ることができます。元の「元気」になるのです。

もちろん「動かしながらマッサージ」同様、「超健康の基本」を意識して行います。

1.椅子に座って膝から先を振ります。水平まで振り上げ、自然に下します。これを繰り返します。手は膝にあてます。目安時間は30秒です。

2.立位で(まっすぐ立って)、片手で壁に手を添えて立位を保ちなが脚を前後に振り続けます(ラクに立位が保てる人は手を添える必要はありません)。一応の目安時間は2分です。振っている腰に手のひらを当てます。

反対側の脚も同様に行います。

3.立位で前後、前は肘(ひじ)が曲がるまで振り上げます。反対側の手の平を肩にあてておきます。意識は肩だけではなく体全体です。連動してわずかに動く筋肉を感じます。1分続けます。

4.今度は、腕の振りは前は振り上げず、前後ともに地面と並行の位置までにします。2分続けます。頭から足裏まで意識します。できる人は「全意識」で行ってください。

反対側の腕も同様に行います。

5・立位で両手のひらを腰にあて、腰を回します。足裏から頭まで、脱力しながら味わいます。円運動も振動の一つの形態です。左右、方向を変えて2分ずつ行います。(続く)

超健康法・惟神(かむながら)の道8マッサージ1

超健康の基礎を理解していただいたら、いよいよ効果の高い実践です。体のメンテナンスの第一歩はマッサージです。私もそうでしたが、ほとんどの人が自分の体を知っているようで実はほとんど知りません。

まず体を知ること、まず超健康の成果が体で感じられることのために、「かむながらマッサージ」のやり方を紹介します。

<かむながら呼吸>

超健康法・惟神(かむながら)の道5で紹介した初心者用体操タイプの無意識へのアプローチを行います。

意識は「全意識」になっていますから、呼吸も「全意識」で行うことになります。吸う呼吸で宇宙空間からエネルギーを取り込みます。一瞬留めます。留めるときは力を入れないで自然に行います。ゆっくりと吐き出します。

空気の呼吸は意識しなくてもできますので、エネルギーの呼吸を意識します。

<マッサージ>

1.全身の状態を知る。

手や足を使って、体の全体をさわりながら、筋肉の硬直状態(コリ)を知ります。

2.重点マッサージをする

全身の硬直状態が分かると、全体の時間配分を考えて、各場所を重点マッサージして弛めます。慣れたら順番も分かってきます。バランスが大事なので調整しながら行います。コリがひどいところは指で軽く押さえて(範囲が広ければ手のひらをあてて)、かむながらの基本を繰り返しながら2分間続けます。弛んできたらほぐします。途中でほぐしを入れてもかまいません。(2分というのは、数を数えてはかります。時計を見て1秒ごとに数えて覚えます。多少のずれは気にしません。)

<動かしながらマッサージ>

体は全てつながっているものですから、部分に区切って考えてはいけません。肩・腰・脚・腕など別々のコリだと考えるのは間違いです。お互いに関連があります。その点では体を動かしながら行うマッサージは効果があります。肩の治療は腰の治療も必要という場合もありますし、肩だけの治療でも肩の一部に手や指を当てながら肩全体、腕を動かしながら行うマッサージも効果が期待できます。

首の治療、足首の治療などどの部分の治療も同じ考え方で行います。

<意識だけでもできる>

超健康法の基本を行った上でのマッサージの効果を実感していただいたら、毎日、少しの時間でも見つけて、どこでもマッサージを続けてください。人前でできないときとか、体を動かせないときは、意識だけでもできるようになります。慣れるまではわずかな体の動きも伴いますが、徐々に動きが少なくなってきます。膝を傷め人や、骨折などで体が動かせない人にもお勧めです。

(続く)

 

 

超健康法・惟神(かむながら)の道7

<「かむながら」とは何ですか>

この超健康法、別名惟神(かむながら)の道は、見慣れない漢字だし、いまひとつ意味がわからないという指摘をいただきました。

ごめんなさい。羽賀ヒカルさんの本にそのめずらしい名前がでていたものだからつい気軽に使ってしまいました。私にとっては「かむながら」は身近な名前なのですが、世間ではめったにお目にかからないものであることを忘れていました。

<「無意識」とは何ですか>

この指摘も同じです。私は「全意識」と呼んでいますが、羽賀さんはその「全意識」のことを無意識という言葉で表現されていたので、つい、その方が一般的な言葉だと判断して、それなら説明しなくても済むので、この言葉を使ってしまいました。しかし、超健康法の実践という立場からは「全意識」という言葉を使用したほうがかえってわかりやすいことに気付きました。

「全意識」というのは、宇宙の全てに偏在している意識のことです。宇宙創造主の意識と表現してもいいと思います。私の造語なので、慣れるまでは抵抗がありますが、超健康法の実践には理解しやすい言葉なので以降、この言葉に変更させていただきます。

<かむながらとは?>

「かむながら」とは、日本古来から伝わる神道のひとつで、森羅万象の中に神の存在を意識して生きる生き方です。私があるグループでこの話をしたときに、ある女性の方のおじさんがその生き方をしていて、そのグループには大企業の社長をしていた方もいたと聞きました。最近、全てのメンバーが亡くなられてしまったそうです。その方たちが持っていた霊能力のことも聞きましたが、私にはそういうものはありません。

このような人のつながりもなく、私が「かむながら」をひきついだのは、これからは「かむながら」が霊能力に偏ったことよりも、「本来の姿に戻す」ことに重点をおいたものにするためだったのではないかと感じています。

 

 

 

超健康法・惟神(かむながら)の道6生活瞑想「全意識」

<生活瞑想とは>

瞑想は座禅を組んで雑念を入らないような環境の中で精神統一します。それなのに、生活の中、雑念の真っ只中で瞑想するなんてとんでもない。できるわけがない。まず、そう思われると思います。

しかし、超健康法・惟神(かむながら)の「全意識」につながる方法では、生活そのものが瞑想です。意識は、日常生活をしていても、宇宙の源につながっていて、生活のどの場面にも執着せず、客観的にながめています。知性で考えようとせず、筋肉も姿勢を保つ、必要な運動に伴う最小限の筋肉以外はすべて弛緩した状態です。丹田に生じる悦びのエネルギーで体全体を充満させて常に瞑想の極致にあります。

<客観的に自分とその環境を眺めていますから、ほとんど緊張はありません>

知性に執着しますと、絶えず緊張の連続です。どんなに知性を働かせたところで、その限られた、一面的な情報の上でどんなに緊張して判断しても、その判断は不完全です。

しかし、超健康法・惟神(かむながら)の「全意識」につながれば、その直感は思いもかけない道を開いてくれますし、常に柔軟な判断に導いてくれます。

それに伴って、体にも緊張はほとんど起こりません。疲れも少なくなります。

<わざわざ時間をつくる必要がありません>

成功するためとか、健康のためとかで、いま、瞑想がブームになっているようですが、わざわざ時間や場所を準備する必要がありません。超健康法・惟神(かむながら)では、すべての場所、全ての時間が瞑想なのですから。(続く)