会長ブログ | 大阪府八尾市の美家古

月別アーカイブ: 2017年12月

西南戦争と八尾市恩智にある官軍戦没者のお墓

西南戦争墓地

1877年(明治10年)、西郷隆盛が武力反乱を起こしました。帯刀、俸禄の支給という武士の特権を奪われた士族の反乱です。これが2015年現在最後の内戦となります。官軍は7万人の規模でした。

戦争は政府の財政危機を招き、農民を没落させ、プロレタリアトを増加させました。その一方で、一部の大地主や財閥が資本を蓄積し、初期資本家が現れ、民間の大規模投資が可能になり日本の近代化を進めることになりました。貧富の格差は拡大しました。

私達の地域でも西南戦争でこのような犠牲者があったのですね。つねに時代は変わっていき、そのたびに戦争がおこり、社会の混乱のなかで財を得るもの、無くすもの、あるいは命そのものを無くすものができるのですね。

そのお墓が東高野街道の少し上、恩智左近の墓の南に隣接してあります。

 

心の健康21・原点・疲れたものは・・・

「疲れたもの、重荷を負う者は、私のもとに来なさい。休ませてあげよう。聖書」

通勤の通り道にあるキリスト教会の掲示板にこのような言葉が記されています。人の心が根本の存在から離れれば離れるほど、その負荷が大きく、疲れ切ってしまいます。これは病につながりかねません。

そのとき、「疲れたもの、重荷を荷う者は、私のもとに来なさい。休ませてあげよう。」

と深層意識はあなたに語りかけます。宗教はそんなときに、あなたを病から救う役目をしてくれます。狂ってしまった身体機能をもとに戻す、いざないをしてくれます。

キリスト教のような歴史のある宗教は心配がいらないのですが、新興宗教の中には、このような人の弱みにつけ込んで、入信させ、多額の寄付をさせる悪徳の存在もあります。私の知り合いにも親の多額の寄付によって、屋台骨が傾いているところもあります。また、お金のないものからは多額の借入をさせて寄付させるなど、疲れを休ませてくれるどころか、さらなるストレスを本人ばかりか周辺の人にも与えている宗教団体もあります。

しかし、休ませてくれる本当の存在は私たちの心の奥に存在しているのですから、直接そこに繋がる努力を始めるのが本来の姿ではないでしょうか。心の深層部分。ここが原点です。

心の健康20・原点・100M走(マラソン・フィギュア・競技ダンス)

昨夜、TVでフィギュアスケートを楽しみました。私が特に注意していたのは、腕でした。動きに合わせてのびやかに動く腕。それは体の奥からの動きであることが伝わってきます。その心地よさ。

同じ意味で、100M走。あの腕の動き。目にも留まらぬ速さという表現をしてもいいくらい。マラソン。あのリズミカルな、かろやかな腕の動き。いずれも体の奥からの動きです。

それから競技ダンス。マラソンやフィギュアスケートと違って、男女のカップルで踊る競技ダンスは腕は固定されているのになぜ腕?確かに腕は男女ともに固定されていますが、その位置はやはり、マラソンやフィギュアスケートと同じ位置にあるのです。そして、腕そのものは動かしていませんが、そのどれもに共通した姿勢、運動するものの原点の姿勢をしています。それが心に響きます。そのわずかなズレが運動の妨げになり、身体の負担を増やして競技の勝敗に影響します。

まっすぐに立った時、頭の上から天に引っ張られている。みぞおちは上に引き上げられ、前に向かう。腰が入っているという表現をされるように、背骨は本来のカーブを保っている。これが運動するものの原点の姿勢です。動くにあたって何にもとらわれない姿勢。腕に負荷はなくブランブランです。健全な精神は健全な身体からといいます。

身体のこのような姿勢が精神の健全な働きを助けてくれます。表層意識に影響されず、深層からの思いを表現する。この精神の姿勢こそ、本来の姿勢だと感じています。実際に、このような姿勢で歩いたり、作業したりしていると、疲れは少ないし、体は快調です。それに伴って心は安らかで、楽しく振る舞ってくれます。正しい姿勢で歩けば、腕は肩にぶらさがり、昔の時計の振り子のように前後に振れます。

心の健康19・皮膚と心2

「人に愛情を持って触れること、すなわち愛撫は、本人の対人関係の本質を見事に反映する。うまく行うと自分自身の心に気づきを与え、それを(いや)す力を持っている。また、人は愛撫されることで大きな安心感や安らぎを得ることができる。不安や孤独感を癒す力さえもっている。夫婦間や恋人同士の愛撫は言葉以上に愛を伝え、母親の子供への愛撫は、人々への基本的信頼感を与える力を持つ。ほんのわずかな愛撫に、どんなに素晴らしい言葉よりも大きなパワーがこめられることもある。

​愛撫は人と人とのきずなを作りそれを深め、大切な人を癒し、また愛撫する自分自身をも癒す力をもっている。これを効果的に行えるかどうかで、人生は大きく変わっていくだろう。友人や家族を含めて、人を愛することが人生で最も素晴らしいことであるならば、それを実現するための行為である愛撫は、人生の最上のたのしみであるとも言えるだろう。」(『愛撫・人の心にふれる力』(山口創著)

皮膚と脳は同じ胚からできて、強くつながっています。脳は心を作る働きを担っています。皮膚が心に強くつながっているのは納得できます。皮膚感覚を愛撫で愉しむことを勧める山口さんの意見に賛同です。

心の健康18・呪いと心

『呪いと日本人』(小松和彦著)

大陸から伝わった優れた文化とともに、「呪」という技術も天皇家を中心として貴族からやがて民間の人々まで受け入れられてきました。以前のブログでこの呪の世界をかなり紹介してきました。

出世するものは出世できなかったものの恨みを買い、美人はそうでないものの恨みを買う。著者の小松さんは次のように書いています。

「『呪う』ー『呪われる』という関係は、コインの裏と表のようなものである。人間である以上、だれもが呪われる立場にあり、怨念=呪い心に説明が与えられたときには呪う側にもなりうるということである。その意味で、人間というのは、社会をつくり出したまさにそのときから、悲しい、恐ろしい宿命に呪われているといってもいいかもしれない。

人間は法や道徳や倫理などをつくり出し、あるいは「愛」などというイデオロギーまで動員して、恐ろしい『呪い心』の発現をなんとか抑えようとしてきた。しかし、それがすべての人びとを満足させるものとはなっておらず、またなるはずもないのである。どうやら私たちは、いったん否定し、覆い隠してきた恐ろしいものの存在を、みつめ直す時期にさしかかっているのかもしれない。」

人の心は、多くの人が自分だけのものと錯覚していますが、つながりをもってお互いに影響をあたえているということを知ったら、本当は穏やかでないはずです。自分の心の制御も難しいのですが、人の心に呪いを起こさせないためにはどうしたらよいのでしょう。またその呪を受けない工夫はできるのでしょうか。

「 人を呪えば穴二つ」すなわち、人を呪い殺したとしても、呪った自分も同様に死ぬことになるという言葉があります。そのような実例は歴史の中にいくつもあります。

地元高安村(山畑)では俊徳丸の話が有名です。後妻が自分の子供を跡継ぎにするため、「俊徳丸に呪いをかけます。俊徳丸はめくらになり、さらにらい病にかかってしまいます。家を出て彷徨っていた俊徳丸を隣村の長者の娘が救います。呪いをかけた長者の嫁は長者がなくなると没落していって、乞食になります。

となりの弓削村では「宿曜秘法」をあやつった孝謙女帝のおかかえ呪術師の道鏡がいた。

戦時中には、丑三つ時、神社の木にわら人形を釘打ちする姿を見た人がいます。呪いはいまだになくなっていないのでしょうか?いいえ、呪いという姿をとらなくても、他人にそれに近い憎しみの感情を持つことは、日常の中でかなりあるようです。このような心が自分も傷つけていることに気付いている人はいるでしょうか。

 

心の健康17・目と心

『視覚世界の謎に迫る』(山口真美)を読ませていただきました。赤ちゃんのときには、いまのようなみえかたはせず、聴覚や、触覚も含めて体験しながら脳が作り上げた結果、いまのように見えているのです。皆さんは眼に映るものは全ての人が同じように見えているとお考えでしょか。体験が見な違えば、見え方も違っているはずです。

私は体調との関係で、眼に映るものが変わりました。最悪のときは、信号の色の識別しかできない程度でした。それが指圧治療の帰りには、そこに輝きが加わっていました。

いまは、すっかり元気になって、目に入る景色は自分自身のように見えます。絶えず表情を変え、その奥に創造主のエネルギーを感じます。ときには、空間にさえ、キラキラとしたものが見えるように感じます。

私のように病気でない人でも、目だけでものを見ているのではないことが分かっています。目から入った景色を脳が加工して私たちがいま見えているものに仕上げているのです。

目が2つある理由は、左右で見える違いを利用して遠近を知るなど、脳が関与して見える能力を高めるということでもあります。

私がここで紹介したいのは私の体験です。私は数年前、神社で人の姿をした柱状の3体の存在を見ました。あきらかにこの世界のものとは違う見え方でしたので、私はその三体の下を行き来し、錯覚ではないか、何か変化が起きないか確かめました。初めての体験でした。「ああ、こういう風に見えるから、神々のことを1柱、2柱と数えるのだ。」と思いました。

その後、昔石切り場であったところの結界の中で、こんどは1体だけの神様?を見ました。信仰心の深い連れと動向していましたので、場所を交代してみましたが、連れには見えませんでした。

行をした人で遠くの存在を見ることができる人がいたり、過去の霊を見ることにできる人もいます。この本はそちらの特殊能力には触れていませんが、通常の世界が脳との関係で見えていることを書かれています。その延長線で、私の体験なども人のもつ能力であり、脳力でもあることは理解できます。

心の健康16・皮膚と心1

「皮膚感覚は、「生きていくために」極めて重要な役割を持っているといえよう。赤ん坊の頃は未熟な生命を支え、親子の慈愛に満ちた対人関係の基盤を築く。成人後はそれを礎として対人関係を広め、またそれを見極めるアンテナとしてもはたらいている。そして生殖のための性感もまた、皮膚感覚なしには感じられないものである。」『皮膚感覚の不思議』(山口創著)

また、裏表紙に、「皮膚」と「心」の意外な関係として、

「なぜ、くすぐるしぐさをされるだけでくすぐったい?

見ず知らずの人に触られるとぞっとするのに、恋人にふれられると、なぜうっとりする?」

と、「皮膚」と「心」の関係に触れられています。

私は、長い鍼灸治療でたった1回だけですが、針が皮膚に触れた途端に、自分のオーラが見え、室外の風景が脳裡に浮かんだ経験があります。皮膚は明らかに深奥な部分に繋がっています。そのときは、一瞬にして全身のコリが消えたのです。

著者の山口さんは、『からだとこころのコリをほぐそう』という本も書いておられます。さっそく取り寄せることにしました。読んだら、紹介します。

 

心の健康15・無意識2(シンクロニシティ)

『こころと脳の対話』(河合隼雄・茂木健一郎)より紹介します。

茂木 そうか。シンクロニシティというのは、外のものと外のものがシンクロするんじゃなくて、自分の無意識と外のものが呼応すると。

河合 絶対そうです。で、無意識で動いているのが、外に出てきたりね。その出てきたものの背後には無意識がある。

「世界」という場合、僕らは意識・無意識、全部を含めて世界を考えているわけですから。だけど現代社会を生きるには因果関係の方が便利だから、もうそれに慣れすぎて、それしか思考パターンとして動かしていない。」

 

カール・ユングの提唱したシンクロニシティ(偶然の一致・共時性)の説明:ウィキペディアより。

従来知られていた「因果性」の原理とは異なる、複数の出来事を離れた場所で、同時期に生起させる原理である。そうした、同時期に離れた場所で起きる、一致する出来事を説明するためのある種の原理、作用として提示されたのがシンクロニシティである。

ユングの説明によると、人々の心(複数の人々の心)にあるファンタズム(夢・ヴィジョン)と主観は同時的に起きているのであって、ファンタズムが起きている時には互いの心に(ファンタズムが)同時的に起きていることに気づいていないが、後になって客観的な出来事が、多かれ少なかれ同時的に、離れた場所ですら起きたと判明することになり、それについて(客観的な出来事が)シンクロ的に起きたのだと確信的に考えることになるという

 

心の健康14・無意識1

『無意識はいつも君に語りかける』(須藤元気著)より紹介します。

「頭で損得を考えず、シンクロのサインと感情に従って行動すれば、きっとうまくいく。

どのようなジャンルであっても、その世界で一流と言われる人はみな例外なく自分の思考の外側からやってくる囁きに耳をすますと言う習慣を持っている。

通常の打算に満ちた日常思考はベータ波のノイズの海であり、内的な静寂に到達したアルファ波の状態でわき上がってくる囁きこそが大きな可能性を導くアドバイスなのだ。

あなたがその囁きに忠実に行動すれば、気分は高揚し、身辺には楽しいシンクロ現象が頻発してくる。それが、あなたにとって、物事がうまく動き始めた兆候なのだ。ノイズを消して耳を澄ませば何かが、聞こえる。」

須藤さんは、この本を通じて、損得という表層意識(ここでいう日常意識)を捨てて、深層意識(ここでいう無意識)に意識をつなぎ、それに従って行動しなさい。成功した人はそうしていますよと教える。シンクロ現象が頻発してくるのがそれのサインだと言っている。

 

心の健康13・自分の心とは

人が悩みを訴えるとき、黙って聞くだけでその悩みが解決するということがあります。その人が自分で解決するという考え方もできますが、悩みの本質というのは、元の存在につながっていないということが根本の原因なのです。

その人の気持ちを理解して、寄り添うことでその解決策がその人に届きます。心の世界は量子の世界ですから、相手が受け入れる姿勢さえもっていれば、そのまま相手に通じます。すなわち、元の存在からの「愛」が相談者を通じて届けられるのです。

人の心というのは、自分ひとりのものと思いがちですが、ほかの人の心も入ってくるのです。生まれた時から育ててくれた親、受けた学校教育、社会の持つ道徳、それらさまざまな影響を受けて形成されたもので、明日はまた他の人から情報を受けて変わっていくのです。

変わらないものは、ただ一つ、深層部分にある創造神の「愛」です。あらゆる存在がここにつながり、存在を維持しているのです。自分の不十分な知識や判断力に意識をおいて、深層部分にある創造神の「愛」とのつながりが弱くなった時に、悩みが発生し、苦しむのです。