会長ブログ | 大阪府八尾市の美家古

河内木綿・綿作・機織り・大和川の付替え

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以前にも河内木綿と大和川の付替えの話を書きましたが、今回は、『東大阪の歴史』(藤井直正著)より紹介します。それにしても河内の様子をすっかり変えてしまうような大和川の付替えなどという大事業がよくできたものですね。河内地域の価値がいっぺんにあがり、この地域は特別に豊かになっていきます。河内木綿がその大きな現象でしょう。

「河内木綿の栽培がさらに広まったのは、宝永元年(1704)の大和川付替後のことである。それは付替によって不用となった川の流路が埋め立てられ、その川床が綿作に利用されたからである。綿は水はけのよい砂地が生育に適しており、川床の砂地と豊富な地下水は綿作に好適の条件であった。とくに河内は大坂という商業都市をひかえていたから、商品作物として最高の地位を得、全国一を誇る綿の生産地となったのである。(中略)綿つみから綿くり、さらに機織りに至るまで、すべての作業が農家の副業であった。収穫された綿は槌でうち、綿くり機(糸車)にかけて糸をつむぐ。これらの作業は女の人たちの夜なべの仕事であった。」

さらに、このころには千石船が大坂から北海道まで行くようになり、あっという間に木綿が麻のかわりに温かく日本人の体を包むよになりました。このタイミングの良さは人の考えでできるものではないし、川の付替えがわずか1年にも満たない期間で完成したというのも奇蹟というしかありません。見えない力の働きを強く感じます。

 

河内の翁 の紹介

飲食店の仕事を現役で行いながら、ご理解いただける仲間とともに、「かむながら」という生き方を実践しています。宗教、宗派を超越したものです。 「かむながら」とは、「常に根源神を意識しながら行動する」という意味です。 根源神とは、宇宙を創った存在のことです。宇宙の全て(私達を含む)は、創った存在(根源神)とは常につながっていますので、宇宙そのものとも表現できます。