会長ブログ | 大阪府八尾市の美家古

法華経8(如来寿量品第16「仏」を絶えず意識し続ける)

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昨日アメリカから日本に一時帰国された日本人にお会いしました。私と同様、常に根源を意識しようとする方ですが、日本はあらゆるところに広告があり、気が分散するそうです。

法華経如来寿量品第16に、

「私はいつでもどこにでも誰のそばにも存在して、衆生を救うのですが、衆生が真剣に私を求めなければ、その効果がないので、いなくなってしまったかのように見せているのだ。私が居なくなってしまったと思えば人は私を恋慕し私に強い気持ちを抱く。」というような意味のことを書いています。

チャイタンニャは、根源紳クリシュナに絶えず強い意識を持つために別れのときの気持ちを持ち続ける工夫をされました。私はつらくてとてもそんな方法をとることはできません。

私はこの初めて出会った同志の方に、「私は、生活そのものを『全意識』で行うという、別名『生活瞑想』を以て生活するようにしています。そのようにすれば、広告をみても『全意識』で、法華経の表現でいうなら、『仏』とともに見ているわけですから、チャイタンニャほど強くはありませんが、根源紳への意識から離れないで居れます。」というような話をさせていただきました。

法華経ではこの遍在する根源の存在のことを「仏」と呼んでいるのですね。

法華経如来寿量品第16

河内の翁 の紹介

飲食店の仕事を現役で行いながら、ご理解いただける仲間とともに、「かむながら」という生き方を実践しています。宗教、宗派を超越したものです。 「かむながら」とは、「常に根源神を意識しながら行動する」という意味です。 根源神とは、宇宙を創った存在のことです。宇宙の全て(私達を含む)は、創った存在(根源神)とは常につながっていますので、宇宙そのものとも表現できます。