会長ブログ | 大阪府八尾市の美家古

カテゴリー別アーカイブ: 宇宙・人類

森の成長を支える微生物と人類

『宇宙2宇宙人類の誕生』(NHK宇宙プロジェクト編)から紹介します。

「アンモニアはタンパク質のもとになる成分で、植物の成長には欠かせません。実はこのアンモニアをつくっているのは植物ではなく、土のなかにいる微生物なのです。シアノバクテリアという窒素固定細菌が、空気中の窒素を吸収してアンモニアにかえているのです。植物はそれを根から吸収しています。」

ツリーライン(森林限界)より上にいくと、土の温度が急激に下がるために、微生物が活動できなくなって、木が育たないのですね。土の中の微生物が木を育てる役割を果たしていたなんて知りませんでした。

私は昔よく「人の体は土でできている。」と言っていましたが、土を食べる草木やその実を食べた動物を人が食べるからです。もちろん人も草木やその実を食べます。それはもともとは地球の土です。作家の三浦綾子さんも自分のことを、「この土の器」と表現して小説の題名に使っています。土を直接食べている人もいるそうです。

こうして考えると、人は地球と完全に独立したものではなく、地球そのものの一部分なのです。地球や、地球によって生かされている他の存在と共に生かされているのです。さらに言えば、同様に、宇宙によって生かされ、宇宙そのものの一部であります。

これらを支えるものの一つに微生物がこのような形で活躍していることも分かりました。

絶壁頭は現代人の特徴?

『つい誰かに教えたくなる人類学63の大疑問』(日本人類学会教育普及委員会監修中山一大・市石博)にこんなことが書いてありました。絶壁頭で私のようにひけめを感じているあなたに朗報です。

「鎌倉時代の人と現代人では、頭の形に違いがあることが知られています。鎌倉人は頭の幅にくらべて前後が長い『長頭』、いわゆる『才槌頭(さいづちあたま)』の傾向がありますが、現代人は幅にくらべて前後が短い『短頭』、いわゆる『絶壁頭』のような形を示す傾向があります。」

進化した人間は「絶壁頭」なんですね。かっこよさより、機能優先なら「絶壁頭」も良し、ですね。

側頭葉は、言語、記憶、聴覚を担う部分ですから、コミュニケーション力の発達する必要が増してきたのでしょうか。わずか800年で頭の形まで変わるなんて、ヒトの進化はすごいですね。

人類の基礎を築いた祖先たち

『つい誰かに教えたくなる人類学の大疑問』(日本人類学会教育普及委員会監修))からさらに紹介します。

 

「約1万年前に最終氷期が終わり、地球は急速に温暖化しはじめました。その結果、日本列島の埴生に大きな変化がおこり、1万年前にはクリなどの堅果類を含む温帯の森林が成立したことがわかっています。またオオツノジカやステップバイソンなどを含む大型獣がいなくなりました。このような状況で、植物と魚類に依存した定住生活を特徴とする縄文文化がはじまったと考えられています。縄文時代の人びとは、周辺の環境によく適応していました。たとえば、北海道では海産物を中心とした食生活が発達し、本州では森林の資源と海洋の資源を組み合わせた食生活が発達しました。

本州の中でも西日本は照葉樹林が中心で、堅果類の生産量は多くありません。一方、東日本の落葉樹林では、照葉樹の堅果類よりも生産性の高いクリやドングリが多かったようです。このような東西の埴生の違いは、縄文時代に西日本より東日本に多くの人口が分布していた可能性を示唆します。(中略)

堅果類は秋に豊かに実りますが、主食としてほかの季節にも食べるためには貯蔵が必要です。また、生では食べられないので加熱調理をしなければなりません。そして、貯蔵や調理の為の土器や石皿などが出現しました。旧石器時代が終わり、縄文時代を特徴づける土器が現れるのはおよそ1万6000年前のことです。

縄文時代の日本列島では、クリのほかにクルミやフキ、ワラビなどもよく利用されました。たとえば、三内丸山遺跡の土に含まれている花粉の分析からは、クリが自然状態ではありえないほど密集していたことがわかっています。これらはいずれも明るい明けた場所でよく育つ植物です。有用植物を残すために、ヒトが伐採や野焼きによってそれ以外の植物を除去し、環境を改変していたと思われます。

また森は、調理や土器製作に必要な火を起こすための薪や、住居の建築材を得る場所となりました。ヒトにとっては、食料源としても役立つクリや生育の早い樹種などを中心とした森林が好都合です。実際に森林の樹種を人為的に操作しはじめ、その結果、二次林を生むことにつながりました。

縄文時代の後半の4500年前頃には、リョクトウやダイズなどの豆類やヒョウタン、アサ、エゴマ、シソ、ゴボウなどの外来植物も持ち込まれました。

やがて、2800年前頃に稲作がはじまり、水田が特徴的な風景となる弥生時代へ突入していくことになります。水田稲作がはじまると、耕作用に水をためるようになりました。そこには水場をすみかや繁殖の場とするカエル、メダカやドジョウなどの小魚、それを食べるサギやトキ、コウノトリなどの水鳥も多く暮らしたでしょう。稲作によって食糧が豊富になったことで人口も増え、このようなヒトの活動による環境の変化もいっそう進んだはずです。山裾に水田が広がり、雑木林の資源も利用する「里山」と呼ばれる景観が、かつては日本列島の各地で見られました。これは縄文時代の森林利用の伝統と弥生時代の水田稲作が融合したものと理解できるかもしれません。」

さらには、水田稲作を始めて、食料を安定して確保しました。ヒトは環境に働きかけて、環境を変えていったのですね。まず、食料を確保するために森林に手を加えて、伐採や野焼きをしたのですね。偉人と呼ばれた素晴らしい祖先の存在にも驚きましたが、いや、ヒトの祖先は誰もが素晴らしい。環境を変えてしまう能力をその当時から持っていたのですね。いや、与えられていたのですね。われわれを創造された存在。長い長い時間をかけて。その偉大な存在のために、どんなことをしても自分の役割だけは果たしておきたい。そういう気持ちになります。

 

変化する日本列島とヒト

すぐれた祖先たちのことを知ったら、こんどは初期の人類はどのようであったのだろうかと気になりました。

「7万年前から1万年前にかけて、地球は最終氷河期にあたり、日本列島にも寒冷地の動植物が生息していました。氷期には、蒸発した海水の一部が陸域で氷として固定されるので、海水量は減少します。最終氷期には、海水面が最大で120mも低下しました。その結果、日本列島はユーラシア大陸とつながったり、大型の動物が行き来できるていどに海峡が狭くなったりしたようです。

そして、日本列島に大陸由来の動物たちが生息しはじめたことが、化石の分布からわかっています。たとえば、現在の朝鮮半島のあたりを経由してオオツノジカやナウマンゾウなどの南方系の動物がわたってきて、ナウマンゾウは北海道東部まで進出したようです。また、樺太と北海道がつながり、津軽海峡も大きな川位の幅になっていたため、北方系の動物が現在の本州まで渡来していました。ヘラジカなどが現在の岐阜県のあたりまで分布を広げていたことや、マンモスが北海道に生息していたことがわかっています。

植物はどうだったのでしょうか。当時の地層から見つかる花粉の分析によって、北海道北部や東部では、寒帯の草原と針葉樹林がモザイク状に広がっていたことがわかっています。北海道の西部や古本州島東半部にかけては寒温帯針葉樹林、西南日本にかけては温帯針広混交林が優先していたようです。

では上述の環境で、ヒトはどのような暮らしを営んでいたのでしょうか。最終氷期の日本列島では、大部分の森林にはドングリなどの堅果類がなく、食用植物資源に乏しかったと予想されます。当時のヒトは、狩猟によって得られた食物を中心とした生活を送っていたのでしょう。ただし食べられていた動物の骨はほとんど見つかっていません。そのかわり、2万5000年前以降の遺跡からは、狩猟用の槍の一部と思われるナイフ形石器や、細石刃(骨角などの素材を並べてはめ込んだ石器)や、動物を捕えるためと思われる落とし穴が見つかっています。

最終氷期の後半になると、マンモスやナウマンゾウなどの長大型獣は日本列島から姿を消してしまいました。その要因として、寒冷期と温暖期交互に訪れる短期的な環境変動による、埴生の変動(餌場となる草原の喪失)の影響が大きかったと考えられています。超大型獣が消えてからは、シカやイノシシといった中型の動物が、日本列島に住むヒトの獲物となりました。」(『つい誰かに教えたくなる人類学の大疑問』(日本人類学会教育普及委員会監修))

石器時代のヒトは狩猟に頼って食料を得ていたのですね。共同作業をするヒトとの人間関係をうまく保つこと、狩猟の対象である動物の動作を知ることなどがヒトの関心の中心だったのでしょう。凶暴な動物から身を護るための気のバリアなどはどのくらい発達していたのでしょう。獲物を見つける気配の察知力はどうだったのでしょう。動物の食糧が手に入らなかったときは、堅果類が乏しかったとすれば、木の葉や根っこも食べたのでしょうか。腐葉土や、昆虫の糞などの混ざった土も食べたのでしょうか。寒冷期と温暖期交互に訪れる短期的な環境変動による、埴生の変動をどのようにして乗り切ったのでしょうか。

男女の交わりは子孫を残す根本であったことは大前提であったことは間違いありません。そこに生じる愛の心は、思いやりなど相手を助ける行動につながっていったでしょう。協力してくれるもう一人の人を大切にする気持ちは生活の根本であったでしょう。子孫を残すための子育ての愛は、もう一人のヒトに「自分が持っている上手な獲物を仕留める技術」を教える行動につながったでしょう。ヒトが生き延びるための力は、愛によって、ヒト社会を上手に築くことだったと思われます。

 

 

すぐれた祖先たち(イエス)

物質の体をもつ人類というものが宇宙の創造主にもっとも近い存在で、これからも加速的に創造主に似てくることが予測されます。創造主がなぜかそうしたいと考えられているように思います。

そのように思っていると、世界最大の宗教、キリスト教をつくったという偉大な人物、イエスを人類のひとりである人間の側面から見た歌に出会いました。

『NHK市民大学1987年4月―6月期・歴史の中のイエス像』(松永希久夫講師)より、ナザレ人イエスの生涯を歌った作者不詳の詩を紹介します。いま世界の三分の一ほどの人が信仰しているキリスト教はこのナザレ人イエスによって始まりました。

「たったひとつの生涯

世に知られぬ小さな村にユダヤ人を両親として生まれた一人の男がいた

母親は百姓女であった

彼は別のこれまた世に知られぬ小さな村で育っていった

かれは30になるまで大工の小屋で働いていた

それから旅回りの説教師となって3年をすごした

1冊の本も書かずきまった仕事場もなく自分の家もなかった

家族をもったことはなく大学にいったこともなかった

大きな町に足を踏み入れたことがなく自分の生まれた村から200マイル以上そとに出たことはなかった。

偉大な人物にはふつうはつきものの目をみはらせるようなことはなに一つやらなかった

人に見せる紹介状なぞなかったから自分を見てもらうことがただ一つのたよりであった

はだか一貫、もってうまれた力以外にこの世とのかかわりをもつものはなにもなかった

ほどなく世間は彼に敵対しはじめた

友人たちはみな逃げ去った

その一人は彼を裏切った

彼は敵の手に渡されまねごとの裁判に引きずり出された

彼は十字架に釘づけされ二人の盗人の間にたたされた

かれは死の寸前にあるとき処刑者たちは彼が地上でもっていた唯一の財産すなわち彼の上着を籤で引いていた

彼が死ぬとその死体は下されて借物の墓に横たえられた

ある友人のせめてのはなむけであった

長い十九の世紀が過ぎ去っていった

今日、彼は人類の中心であり前進する隊列の先頭にたっている

かつて進軍したすべての陸軍

かつて建設されたすべての海軍

かつて開催されたすべての会議

かつて統治したすべての王たち

これらをことごとく合わせて一つにしても人類の生活に与えた影響力においてあの孤独な生涯にとうてい及びもつかなかった

といってもけっして誤りではないだろう

たった一つの生涯…

(W/バークレー、柳生直行訳『希望と信頼に生きるーウィリアム・バークレーの一日一章』ヨルダン社より引用。ただし元来の英詩にもとづき一部翻訳を改めた)」

イエスの生涯については、

「ヨセフトマリヤという夫婦の子としてユダヤのベツヘルムに生まれ、その後、ガリラヤのナザレで大工の子として成長し、ヤコブ・ヨセフ・ユダ・シモンという4人の兄弟と、何人かの姉妹とともに生活していたということが書き残されています。大工であった父親は早く世を去ったようで、イエスも30歳ごろに家を出てバプテスマのヨハネのもとに走り、その後、ガリラヤを中心に彼独特の『神の国運動』を展開し、ほんの数年後には殺されてしまうというのが、その生涯の輪郭でありましょう。」と書いています。

創造主にもっとも近い心を持ったひとりの無名の人が、人の心の奥深いものにふれて、人を動かした。あるものは恐れて何の罪もないイエスを殺し、あるものは感動してイエスの心を人に伝えていった。そして地上の三分の一の人々がいまその心とともに生きている。宗教団体とくくってしまえばそれまでですが、人類という側面から見たとき、人類は人の心の奥深いもので繋がって生きているのだと感じました。

 

人類の並外れた能力

『脳の中の天使』(V・Sラマチャンドラ著山下篤子訳)より紹介します。

「バナナに手をのばすことならどんな類人猿にもできるが、星に手をのばすことができるのは人間だけだ。類人猿は森の中で生き、競いあい、繁殖し、死ぬーそれで終わりだ。人間は文字を書き、研究し、想像し、探究する。遺伝子を接合し、原子を分裂させ、ロケットを打ち上げる。空を仰いでビッグバンの中心を見つめ、円周率の数字を深く掘り下げる。なかでも並はずれているのは、おそらく、その眼を内側に向けて、ほかに類のない驚異的なみずからの脳のパズルをつなぎあわせ、その謎を解明しようとすることだ。まったく頭がくらくらする。

いったいどうして、手のひらにのるくらいの大きさしかない、重さ三ポンドのゼリーのような物体が、天使を想像し、無限の意味を熟考し、宇宙におけるみずからの位置を問う事までできるのだろうか? とりわけ畏怖の念を誘うのは、その脳がどれもみな(あなたの脳を含めて)、何十億年も前にはるか遠くにあった無数の星の中心部でつくりだされた原子からできているという事実だ。何光年という距離を何十億年も漂ったそれらの粒子が、重力と偶然によっていまここに集り、複雑な集合体ーあなたの脳ーを形成している。

その脳は、それを誕生させた星々について思いをめぐらせることができるだけでなく、みずからが考える能力について考え、不思議さに驚嘆するみずからの能力に驚嘆することもできる。人間の登場とともに、宇宙はにわかに、それ自身を意識するようになったと言われている。これはまさに最大の謎である。」

この中で、「重力と偶然によって」と書かれていますが、筆者は実際は「偶然」などありえないと思っているはずです。創造主がいたとしても、人類というのは、驚愕する存在だと思っているに違いないのです。「創造主に似せてつくられた」というこの存在、それが私たちです。人類の力がますます磨かれ、力を共有することで、いまの私たちには想像もできない世界を作り出すでしょう。

 

地球と人類の将来

『宇宙2・宇宙人類の誕生』(NHK「宇宙」プロジェクト・編)より紹介します。

<天体衝突>

「隕石などの小天体が地球に衝突する可能性は、直径200メートル以上のものに限っても、1万年に1回の確率で起こると計算されている。約6500万年前、恐竜を滅ぼしたといわれている小天体は直径10キロメートルほどだったとされている。(中略)

地球を頻繁に襲う小天体は生命の多くを絶滅させることで、わずかに残った種の新しい進化のきっかけになってきたが、次に起きる天体衝突で人類が生きのびる可能性は少ないだろう。衝突後に地球全体を襲うきびしい環境の変化に耐えられる生命は、微生物などの原始的なものになるとも考えられる。」

このように書かれています。果たしてそうでしょうか。私はこれまでの人類の進化を見て、いまの世の変わりようがすざましいものであることに気付きました。携帯電話、インタネット、ロボット。これらの進歩は、100年前の人たちに予測できたでしょうか。宇宙をつくった創造神が人類を神に近づけようと働いている様に思えてなりません。

いま太陽系が銀河系のフォトンベルトを2000年かけて通過しようとしています。この間に太陽系、もちろんそのなかの地球のエネルギー活動も活発になりますが、人類もその影響を大きく受けます。いまのすざましい変化が2000年も続けば想像を絶する変化となるでしょう。

天体を行き来する人類が天体とともに生きようとしている将来の姿が目に浮かぶのです。

宇宙と人類

『宇宙1・天に満ちる生命』(NHK「宇宙」プロジェクト編)を読んでいくと、

ハッブル宇宙望遠鏡がもっとも遠い宇宙を撮影した写真があり、

「そこには120億年前にさかのぼる無数の銀河が写っていました。1000億個以上といわれる銀河の数。私たちは本当に孤独なのでしょうか。はたして地球外生命との交信は可能なのでしょうか。」

とコメントされています。そして元宇宙飛行士のジェラルド・カーさんの談話を紹介しています。

「なにしろ、星の輝き一つをとっても、地上から見るのとまったく違うのです。星の一つひとつが太陽と同じ恒星であるということが理屈抜きに実感できるのです。しかも、そうした輝きがあらゆる方向に満ちていて、私たちをつつみこんでいるのです。宇宙では、無数の太陽が無数の生命の世界をつくっているに違いない。そうして、原始的な生物から、高度な知性を持つ生物にいたるまで、ありとあらゆる生物が誕生と進化、衰退と死をくりかえしているに違いない。そういう、啓示のような直観が私におとずれ、私の宇宙観は大きく変わったのです。(中略)

人間は自分を特別な存在であるかのように思っています。しかし、それは人間の思い込みにすぎません。宇宙から見れば、人間の営みはあまりにも小さいのです。文明というものも、とるに足らないものなのかもしれません。」

私はこれを読んで、思いました。確かに物質としての人間は広大な宇宙のなかでは取るに足らない小さな存在かもしれません。しかし、この広大な宇宙の端まで意識できる統合的な精神を持った極めて優れた存在であると感じました。何層もの波動をもった宇宙と、同じく何層もの波動をもった人間が関わった世界。人が宇宙の全てと繋がっている。このように捉えるなら、人は宇宙とともに想像もつかない進化を繰り返していくに違いないとも思えるのです。

 

宇宙

歴史の本を読んでいると、いつから人は存在したのか、いや、地球は?宇宙は?と元が知りたくなりました。そこには、天体衝突という一瞬にして多くの生命が奪われる、恐ろしい宇宙の一面と、それがあるからこそ起きる、何者かに意図されたと感じられる進化という一面がありました。

『宇宙1・天に満ちる生命』(NHK「宇宙」プロジェクト編)より紹介します。

「キャロライン・シューメーカー博士は、夫とともに天体衝突について調査を続け、コメットシャワーについて知るにつれ、宇宙への考え方が大きく変化してきたという。『宇宙は、私たちがふつう思うように静かで平和な場所でなく、とてもダイナミックでさまざまなことが起きています。この宇宙の姿を知ったとき、私は大きな矛盾を感じました。私は仕事で夜空を撮影した写真を見て、小惑星や彗星を探してきました。夜空を見始めたきっかけは、私たちの生きている実世界ではクレージーなことが次々と起きていることと比べると、星の写真はとても平和で穏やかな気持ちにさせてくれると思ったからです。ところが実際の宇宙は、私が見ているつもりのものと正反対の場所でした。宇宙は暴力的な場所であり、カオスであり、絶えず天体同士の衝突が起きています。宇宙から地球に天体がふってきて、生命の運命を大きく変えてしまうことはどれくらいの頻度で起こるかわかりませんが、必ず起こることです。いま、私がここに存在しているのは、この上なく幸運なことだと考えるようになりました。』」(中略)

「天体衝突がふえているこの4億年、地球はどのような時代であったのであろうか。マラー教授は、生物の進化にとってとても重要な時代であると考えている。

『宇宙論では、過去4億年はとても短い時間と考えがちです。たしかに太陽系の歴史としては、最近の過去と言えます。しかし、尺度を変えて生命や、進化について考えるとすると、4億年は短いと言えません。初期の生物は(誕生してから)25億年間をかけて、原始的な生物形態にまで進歩したにすぎません。この4億年間に進化のほとんどが生じています。衝突はそれ以前の3~4倍に増加しました。衝突の増加は、地球上の生命の進化にたしかに貢献したと考えられます。正確にどのような役割であったかは、まだ完全には解明されていません。(現在地球上にいる)生物体の進化のほとんどは、この地球への衝突がふえた時期に起きています。これが意味するところをを、われわれはじっくり考えているところです。』(中略)

『天体衝突のような大変動を生きのびるには、新たな環境に適応する柔軟性が必要となります。そのためには知性を持つことが優位に働きます。天体衝突は、生物の環境に対する柔軟性、ひいては知性を高める方向へと進めていったのかもしれません。現在地球上でもっとも環境に対して柔軟な生物は人間です。人間は地球上のほぼどこでも生存できます。われわれは必要なときには服を着て、必要なときには別の食糧源を見つけます。天体衝突が地球に引き起こした大変動は、われわれの進化への道筋に重要な役割を果たしたと思います。わずか20年前には、このようなことは理解されませんでした。』

恐竜が絶滅したことによって私たち哺乳類が繁栄しているように、天体衝突による環境の激変が、現在の多様な生命の出現をうながしたとマラー教授は考えているのである。」

つまり、激しい天体衝突が起きて大量の生物が死んでいくのですが、その一方で、生物は多様化したというのです。宇宙の裏の見えない意思を強く感じますね。

 

人類にとってもっとも重大な日

『間脳思考』(桐山靖雄著)で、桐山氏は次のように述べておられる。

「『有史、先史を通じ、人類にとって最も重大な日はいつかと問われれば、わたしは躊躇なく1945年8月6日と答える。理由は簡単だ。意識の夜明けからその日まで、人間は「個としての死」を予感しながら生きてきた。しかし、人類史上初の原子爆弾が広島上空で太陽をしのぐ閃光を放って以来、人類は「種としての絶滅」を予感しながら生きていかねばならなくなった。』

確かにその危険性は身近にまで存在するようになった。知性だけで判断するなら、もう何もかも手につかないところまできている。しかし、見て見ぬふりをしながら、毎日を平穏であるかのように過ごしている。

前回天皇家が恩地の住民の「愛」によって救われたことから、恩地(恩智)がいま歴史の表舞台に立つ予感を述べましたが、隣国が原子爆弾を製造して、我が国を脅している現実に対して、日本人は再び、「愛」によって、これを防ぐしか方法はない。「知性」は何の役にも立たない。

桐山さんは、この時期に人類が霊性を無くしかけていることを危惧し、間脳を開発して霊性を開顕することを勧めておられます。