会長ブログ | 大阪府八尾市の美家古

日別アーカイブ: 2016年2月25日

八尾の歴史

千塚にある八尾市立歴史民俗資料館に行ってきました。いただいたパンフに八尾の歴史が紹介されていました。そこには以下のような概略が書かれていました。

今から5500年ほど前の縄文時代、平野部はほとんどが海底であったので、人々は山麓部に住んでいました。その後、大和川の祖先である無数の河川から土砂が運ばれ、大阪湾が徐々に埋め立てられて、弥生時代にはいくつもの集落がつくられました。古墳時代になると、平野部や高安山で古墳がつくられました。4~5世紀の楽音寺・大竹古墳群、6~7世紀の高安古墳群は、その規模や数からも大阪府下を代表する古墳群です。(俊徳丸の話で古墳を紹介させていただきました。千塚や心合寺古墳はまだです。)

587年には、八尾付近を本拠とする物部氏と、聖徳太子・蘇我氏との戦いがあり、物部氏が滅ぼされました。(以前のブログで紹介させていただきました。)

765年には、八尾市弓削出身の僧道鏡が、称徳天皇の寵愛を受け、八尾に弓削行宮(西の京)を合叡しました。(先日のブログで紹介させていただきました。)

中世から近世にかけて復興された寺院がたくさんあります。(教興寺にある教興寺を紹介しました。)八尾には、寺内町があります。

また、八尾は河内木綿が全国的に有名です。大和川の付替え工事が新田をつくることになり、この綿つくりが一気に広まりました。(これも紹介させていただきました。)

近代の八尾の発展の基礎となったのは、鉄道敷設です。明治22年に大阪鉄道株式会社によって湊町ー柏原間の敷設工事が完成し、安中新田に八尾停車場がつくられました。(このとき、衆議院議員乾亀松が八尾駅と恩智を結ぶ恩智道をつけたことを紹介させていただきました。)この付近に近代工場が次々とつくられました。いまは、その工場が少なくなり、住宅地に変わっていっています。

こうしてみると、八尾の特徴的な歴史で、まだ全く紹介させていただいていないのは、寺内町の話ですね。