会長ブログ | 大阪府八尾市の美家古

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生駒の谷と水車工業

先日、六万寺の地蔵谷川水車の紹介をしましたが、『東大阪の歴史』(藤井直正著)に東大阪の詳しい水車工業の説明があったので紹介します。

「地質学上「傾動地塊」といわれる生駒山地は、東にゆるやかで西側が険しい。この生駒山地に源を発する谷川の水を利用する水車工業も江戸時代に始まった地場産業の一つである。善根寺車谷の精米、精麦、日下谷の胡粉製造、辻子(ずし)谷・額田谷の薬種粉末、客坊・四条・六万寺の綿実油絞りなど、それぞれ谷ごとに特色をもった水車工業が発達した。

中でも胡粉製造の水車がもっとも古く、江戸時代の初め寛永年間(1624~44)の創業と伝えられている。胡粉はカキの殻を砕いて粉末にし、顔料や塗料として使用された。(中略)

東石切町から上石切町にかけての辻子谷は、生駒山中の中でも谷筋がもっとも深く、そのため水量が多く、上流から下流にかけて軒並みに水車工場があった。ここでは大阪道修町の薬問屋から生薬の原料を運び、それを水車で粉末にする工程で、これも江戸時代からつい最近まで数は減りながらも続いていた。(中略)

水車がもっとも多く動いていたのは昭和10年代で、昭和18年の調査によると37代の水車工場の存在がわかる。長尾の滝を源とする額田谷にも薬種粉末が行われ、1~10番までの水車があった。南へ行った客坊谷と成川峠のあたりに源を発する地蔵谷川は、途中、分水があって四条と六万寺に分かれるが、この谷に架けられた水車は綿実油絞りが行われていた。」

これを読んで『菜の花の沖』(司馬遼太郎著)を思い出しました。題名になった「菜の花」は六甲山のふもとの播磨地区で菜種油を絞る新しい技術が開発されたために安く菜種油がつくられるようになったので、その沖の淡路島で菜の花がどんどん栽培されるようになったと書いています。その技術というのは水車を利用したものだったのですね。そして、六甲山から流れる川は急流なので淀川のように土砂の堆積が無かったので大きな船が入る港ができたとも書いてあったので、水車を利用するには抜群の環境にあった筈です。

また、河内木綿と同様、播磨も綿花の大きな栽培地であったと書いていましたから、その水車が菜種油をしぼったように、綿実の油をしぼるようになるのも自然な流れです。水車をつくる業者がその技術を河内にもたらしたことも容易に想像できます。

東大阪での水車は、牡蠣の殻の胡粉が一番古いと書いていますから、水車は胡粉や生薬を粉にする工業から始まって油を搾る技術へと応用されていったのでしょうか。いずれにしても、水車そのものがどのようにして利用されるようになったのでしょうか。1世紀ごろに東洋で製粉用に使われていたというから大陸から伝わってきたのでしょうね。