会長ブログ | 大阪府八尾市の美家古

日別アーカイブ: 2017年8月19日

法華経7(末法)

久々に「末法」という言葉に触れて、ハタと気がついたことがあります。「末法」とは「法」が力の弱まる時代です。

それでは「法」とはなんでしょうか。『法華経の新しい解釈』(庭野日敬著)を参照しますと、

「『ものごと』(この宇宙間に存在する一切のものや、世の中に起こるすべてのことがら)」という意味があります。次にそのものごとをつらぬいている一つの『真理』という意味があります。第三に、その『真理』によって正しくしかもその時にふさわしく説かれた『教え』という意味があります。広く『仏教の教え』といえましょう。第四に、倫理や道徳にかなった『善いことの実践』という意味があります。その四つの意味の大元である『真理』が『仏』なのですから、その心理や法則の上に立って、『人間はどのように生きねばならぬか』を説かれた教えも『仏』なのです。

つまり『法』と『仏』は同じものであり、いいかえれば、『仏』と『仏のはたらき』すべてが『法』ということばで表されるのです。」

すなわち、「末法の時代」とは『仏の働き』すべてが弱まる時代ということですね。「人間はどのように生きねばならぬか」という教えも弱まる時代ということでしょうか。

しかし、「正法・像法の時代」のあと、長い「末法」や「法滅」の時代が準備されているということは、「正法」によって基本的な生き方を根本的に身に着けた人類が、こんどは、法に縛り付けられないで個々がそれぞれの役割に応じて、仏の悦びに満ちた姿を表現することを創造主が期待しているのではないでしょうか。

末法が世の中が悪くなることを意味しているという考え方は、創造主を考える時、不自然です。

やはり、「末法の時代」とは、「仏・法」を超越して、根源神、創造神と直接固く結ばれ、根源神、創造神に奉仕する喜びに満ちた時代ではないでしょうか。

?末法・終末