会長ブログ | 大阪府八尾市の美家古

日別アーカイブ: 2017年8月22日

法華経9(仏と行と因縁)

『法華経の新しい解釈』(庭野日敬著)では、「如来寿量品第16」で次のようにいっています。

「何十億年も前には、地球が溶岩の火の塊であり、空には水蒸気やガスがたちこめて、生物というものはひとつも存在していなかったのです。約20億年前頃、地球がだんだん冷えはじめたとき、顕微鏡で見なければわからぬほど微細な単細胞の生命体が生じてきた。これをバチビウスというのだそうですが、とにかく生命というものがはじめて生まれた。

これはもちろん、「法」によって生じたものです。溶岩とか、ガスとか、水蒸気とか、そういったもののみが存在していた地球上に生命の源となる原因(因)がそれにふさわしいある条件(縁)にあって、この生命体が生じたのです。その条件を与えたのは「法」なのですから、「法というものは、われわれ人間の目からみれば、たんなる法則というような冷たいものではなく、やはりものを「存在させる力」「生かす力」という生々溌剌(せいせいはつらつ)たるものとして感ぜざるを得ません。」

「法」と「仏」が同じものということですから、これらはエネルギーに命を与え、「因」と「縁」によって創造していくということです。そして、全ての物や空間に存在するこの「法」すなわち「仏」を自分の心の中に感じる。そしてそこから、知恵をもらい、愛をもらい、自分に必要な行をもらう。そしてこの行(行為)が与えられた「因」と「縁」によって形を生み、次の行に進んでいく姿を見る。これが人の生き方であるということなのですね。

いいかえれば、宇宙のすべての奥底、自分の心の奥底に存在する「仏」を感じ、そこに意識を合わせて、行動を重ねていく。因縁が次の行動、さらに次の行動へと結び付けてくれる。そういう生き方をしなさい。それが宇宙の中で調和がとれた生き方であり、宇宙の喜びの中の生き方だということなのですね。

ちょうど、体の細胞のひとつひとつが脳の指示に忠実に従うことで、細胞がそれぞれの役割を果たし、互いに助け合って体全体を健康に維持できる姿と同じですね。

ただ、末法の世だから、「法」や「仏」が弱まるので、感じ取るのは難しいよということなのか。それなら、強く結びつき、感じ取れるような工夫が必要ですね。

「仏」「法」につながるために 偉人たちが準備してくれたのがマントラを唱える方法、「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」などです。いまは、さらに一工夫必要なようです。

因縁

行(仏教)