狭山藩・大阪府八尾市神宮寺

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狭山藩・大阪府八尾市神宮寺は小さな谷川をへだてて淀藩・大阪府八尾市恩智とと接しています。恩智町会とくらべて神宮寺町会は件数が少ないのですが、私が子供のころ、私は恩智なのですが、神宮寺は、気を配ってつきあわないと、すぐ争いになるやりにくいところだと聞かされていました。

どうしてこれだけの対立があったのか、その理由は、狭山藩の歴史にあったようです。

狭山藩のもとは、小田原城城主の北条早雲です。豊臣秀吉の命で徳川家康が滅ぼします。実際は民を助ける条件で戦わずして城を明け渡します。北条早雲は高野山に蟄居させられ、大名としては最低の1万1000石に減らされます。

30歳で嫡子をもたないまま死去してその後、氏規が後をついで、後北条の当主となります。そのままでは恐れ多いと、家紋の北条うろこは、正三角形から、二等辺三角形にかわります。写真のかぶとの金の紋が北条うろこです。

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氏規の後氏盛が後を継いで狭山藩藩主となります。禄高が少なくて不足する分は坂野さんや奥さんの里の狭山の大庄屋中林さんなどから借りて維持してきました。禄高は少なくても大名としての格の高さを意識して、淀藩とのつきあいがあったようです。それがそのまま、民にも伝わり、淀藩・恩智に対する狭山藩・神宮寺の対抗意識となっていたのですね。

八尾市制にかわって、南高安連合町会としての共同作業を重ねるうちに、最近ではそのような意識はなくなったようです。仲良く青年団などの活動をしている姿を見ると、心に熱いものを感じます。

 

 

カテゴリー: 河内の翁, 河内歴史 | 投稿日: | 投稿者:

河内の翁 について

飲食店の仕事を現役で行いながら、ご理解いただける仲間とともに、「かむながら」という生き方を実践しています。宗教、宗派を超越したものです。 「かむながら」とは、「常に根源神を意識しながら行動する」という意味です。 根源神とは、宇宙を創った存在のことです。宇宙の全て(私達を含む)は、創った存在(根源神)とは常につながっていますので、宇宙そのものとも表現できます。