河内の古墳

Share on Facebook
LINEで送る

先日、大阪府立近つ飛鳥博物館で行われた講演会に参加することができました。「古墳からみた6世紀の物部氏」という演題でした。驚いたのは、大きな前方後円墳でも誰の墓かわかっていないものや間違っていたものなどがたくさんあるということでした。

豪族でも時代の変化で力を失って先祖の墓参りや墓守もできないものが出るのだなあと改めて栄枯盛衰という言葉を噛みしめました。あの天皇家でさえ、いくつかの先祖の墓がわからなくなってしまったようです。

また、渡来系の豪族の集団のものと思われる小さな古墳群が八尾市千塚、柏原市高井田、南河内郡河南町などそれぞれ千をはるかに超える規模の古墳群があります。それを見ていると、恩智の現代の来迎寺墓地と数の上では同じような規模です。この来迎寺墓地でも全てが管理できていない状況ですから、豪族といえど、この規模の墓は管理不可能です。事実、誰のものかは全くわかっていません。

小さな古墳といっても、今の墓地から比べたら一つの墓が大きいので、墓地の面積は広大になりますが、人の利用しにくい山地ということで残されてきたのでしょう。西暦200年から600年ころにこうした大小の古墳がつくられました。大変な労力だったと思われます。

DSC_0343 DSC_0344

この講演に先立って、近くの美しく賢明であったといわれる推古天皇磯長(しなが)山田陵にお参りさせていただきました。帰りにも寄りました。こじんまりとした山です。また来たいという気持ちです。

 

 

 

カテゴリー: 河内の翁, 河内歴史 | 投稿日: | 投稿者:

河内の翁 について

飲食店の仕事を現役で行いながら、ご理解いただける仲間とともに、「かむながら」という生き方を実践しています。宗教、宗派を超越したものです。 「かむながら」とは、「常に根源神を意識しながら行動する」という意味です。 根源神とは、宇宙を創った存在のことです。宇宙の全て(私達を含む)は、創った存在(根源神)とは常につながっていますので、宇宙そのものとも表現できます。