河内・仏教伝来と豪族・渡来系技術

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六世紀前半から中葉にかけて百済王より仏像、経典が贈られた。それは倭国の百済への軍事援助に対する見返りであったが、欽明天皇は、革新性、新進性という体質を持った蘇我稲目に礼拝・祭祀を委任した。朝廷で祭祀を管掌していた物部氏や中臣氏が仏教の祭祀を委ねられなかったことで蘇我氏との対立が起きた。戦になり蘇我氏が勝利する。蘇我氏は葛城氏の血脈に連なることで葛城地方の渡来人を配下に編成していたが、仏法の管理に付随して外来の文化技術を取り込み、渡来人集団を組織編成して、強大な力を持つようになった。

欽明天皇は、強大な力をもった蘇我稲目を必要とし、その娘、堅潮姫(きたしひめ)や小姉君(おあねのきみ)との間にもうけた子が用明天皇、崇峻天皇、推古天皇となった。公的な建造物などを造営する事業を一手に引き受けて、その地位を不動のものにしたが、その曽我氏も王位継承をめぐる内部闘争によって滅びてしまう。(『古代豪族』(洋泉社編集部編)参照)

仏教伝来は、仏教という教えそのものの評価だけではなく、それに付随した進んだ渡来系の技術が付随したというところに重要な意味があったのですね。

それにしても、これほどの権力を掌握しながら、内部闘争であっけなく滅びてしまうのですね。

また、それまで朝廷の中心にあって、河内を支配していた物部氏が滅んだことで河内はどのように変わったのだろうか。

 

カテゴリー: 河内の翁, 河内歴史 | 投稿日: | 投稿者:

河内の翁 について

飲食店の仕事を現役で行いながら、ご理解いただける仲間とともに、「かむながら」という生き方を実践しています。宗教、宗派を超越したものです。 「かむながら」とは、「常に根源神を意識しながら行動する」という意味です。 根源神とは、宇宙を創った存在のことです。宇宙の全て(私達を含む)は、創った存在(根源神)とは常につながっていますので、宇宙そのものとも表現できます。