慶長大地震 大阪の歴史2(船場1)

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『徒然れしぴ』(杉本吉徳著) 前回からの続き

「慶長元年大地震が起こり、伏見城が崩壊し城中で死者500人、諸大名の家々も崩壊して無数の死者を出しました。秀吉は伏見の大名屋敷を、大坂に移住させるために三の丸の建設を計画し、それまで城下にいた町民たちを立ち退かす、『大坂町中屋敷替え』を号令します。住んでいた町民たちの家は、2~3日のうちに自分たちの手で取り壊し、基盤の目に区画された新しい土地に移ります。

新しい家屋は、ヒノキ材を使い、軒の高さは皆同じにするようにも定められていました。この新しく開発された市街地が「船場」と呼ばれるところで、すでに朝鮮貿易などが行われて町並みが形成されていた道修町あたりから南へ久宝寺町まで、東西は東横堀(阪神高速道路環状南行き)から西横堀(同北行き)迄として、新しく城下町に編入されます。この下町にたいして台地に広がる城内は上町と呼ばれるようになります。」

文章中、慶長元年は1596年です。

次回に続く

 

カテゴリー: 大阪歴史, 河内の翁 | 投稿日: | 投稿者:

河内の翁 について

飲食店の仕事を現役で行いながら、ご理解いただける仲間とともに、「かむながら」という生き方を実践しています。宗教、宗派を超越したものです。 「かむながら」とは、「常に根源神を意識しながら行動する」という意味です。 根源神とは、宇宙を創った存在のことです。宇宙の全て(私達を含む)は、創った存在(根源神)とは常につながっていますので、宇宙そのものとも表現できます。