明治・大正・昭和の燃料 大阪の歴史9(この1世紀5)

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『徒然れしぴ』(杉本吉徳著) 前回からの続き

「おおよそ『薪』(たきぎーまき)と表現し取引されるものには、太い木を割った『割り木』、太い枝を束ねた『真木(まき)』、小枝や雑木の『柴(しば)』、その他『木っ端』、『稲藁』がありました。大阪での『薪』は、地元の河内、摂津、和泉、紀州だけには頼れず、主産地とされたのは土佐で、この土佐産の薪は、大阪市場の60パーセントを占めたといいます。

炭もまた、一般的な炭のほかに、粉炭や、近世に入ってからは粉炭を酸性白土で固めた『炭団(たどん)』無煙石炭を加工した『豆炭』『練炭』が使われていました。京都でも上質な炭は、大阪の問屋を通じて入っていましたし、その大阪でも炭は日向(宮崎)産が多数を占めていたそうですが、地元にもいろいろブランド品があったようでした。河内横山白炭、和泉鍛冶炭(池田炭)、近江炭がそれで、蕪村の句にも

池田から炭くれし春の寒さかな

というのがあるくらいです。おそらく炭とは全く係ることのなくなった今時の人たちにとっても、『備長炭』の名はご存じのようですが、これは紀州熊野(和歌山県)産の良品で、原料にウバメ樫を使って焼いてあり、堅くて火持ちがよいと評判です。江戸時代に紀州田辺の産地問屋『備後屋長右衛門』が扱っていたことから、この名が付きました。

このように大消費地になるところほど産地から遠く、自足出来ずに買い付けに走ります。多くは船便で運ばれましたが、産地事情や天候によっても供給量が左右され、消費者を不安がらせることもありました。消費者が小売店から購入するのに単位がありました。炭は『1俵(藁で編んだ炭俵)』がその単位ですが、薪の場合は東京と大阪では単位が違ったそうです。東京では『一束(いっそく)』いくらであったのですが、大阪では20貫(1貫は3・75kg)がその単位であったのです。これは平均的な庶民1世帯が1か月で消費する量と言うことで、割合買いやすい量ではあったらしいのです。」

ここで紹介されているように、練炭、豆炭、炭団(たどん)というような粉炭や石炭を固めた燃料が50年ほど前には使われていました。こたつや火鉢など暖をとるのにも使われましたが、調理の火種にも利用されました。カンテキという土を塗り固めた調理器具がありましたが、中にその練炭を入れて火をつけるのですが、その上に網を載せて餅や、さんまなど焼きました。その焼いている最中のさんまを猫がかっさらっていったという話も聞きました。気密性のよい住宅が出来始めて、練炭などから出る一酸化炭素で中毒死する事件がたびたび起き始めて、まもなく練炭、炭団などの姿を見ることはなくなりました。40年ほど前に生まれた私の子供はこの存在を全く知りません。ほんの2、30年しか存在しなかったのですね。

次回に続く。

カテゴリー: 大阪歴史, 河内の翁 | 投稿日: | 投稿者:

河内の翁 について

飲食店の仕事を現役で行いながら、ご理解いただける仲間とともに、「かむながら」という生き方を実践しています。宗教、宗派を超越したものです。 「かむながら」とは、「常に根源神を意識しながら行動する」という意味です。 根源神とは、宇宙を創った存在のことです。宇宙の全て(私達を含む)は、創った存在(根源神)とは常につながっていますので、宇宙そのものとも表現できます。