盧溝橋事件 第2次世界大戦下の庶民 大阪の歴史11(この1世紀7)

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『徒然れしぴ』(杉本吉徳著) 前回からの続き

「しかし、昭和12年7月盧溝橋事件を発端に、日中両国が全面戦争に突入し、14年には第2次世界戦争が勃発、16年(1941)12月ついに日本は米英に対して宣戦を布告しますが、翌17年に、ミッドウエー起きの開戦で日本軍が敗北し、これが転機になって苦戦が続き、敗戦への道を歩むことになります。この間に、この国の生活文化が逆戻りする現象が起こりだしたのです。10年、20年遡るのではなく、ものによっては縄文の時代にさえ戻ったのでは、と思われるものもありました。

軍事のために、諸々の資源の需要が増すのに反し、敵対する諸外国の経済封鎖による影響で、輸入は激減し、資材不足から陸海の運輸力は衰え、民間に廻る物資は年を追うごとに枯渇し、終には既存の製品まで回収され、軍需品に転用される有様でした。

昭和14年(1939)石炭不足からガス受給調整令が出されました。昭和17年には、家庭用のガス供給が炊事時間以外はストップされ、その使用料も一軒毎に強制的に割り当てられて、それをオーバーすると供給停止の手段が執られたのです。兵器や軍事用の鉄類が不足しているため、銅像や、橋の欄干にかぎらず、ガスのコンロ迄徴収され、代わりに陶磁器製が支給される始末でした。

電力もわずかに発電されるものの、その多くは軍需産業に優先され、一般の家庭では四六時中停電が続き、夕食時でさえ明かりが灯らない日々が続くようになりました。信じられないことですが、電車でさえ朝夕の通勤時間が終われば動かず、一般人は切符を買う事すらできない時期もありました。

ローソクは手に入らず、ランプを灯す石油もなく、小皿に鯨油と灯心を入れて明かりを灯すという、戦国時代に戻ったような生活になり、ガスや電気の生活になれてきた都会でも、「へっつい」や「かんてき」が主役に戻ります。しかし、都会では薪炭が手に入らず、街から古材やゴミがなくなり、道端の馬糞でさえ燃料に代わる有様でした。当然、電気やガスだけの問題ではなく、衣食住、あらゆる場面で日本の文化が衰退し、逆戻りしていったのです。」

戦時中のこのような話は親から聞いていました。しかし、私の直接の体験ではないので子供に話したことはありません。ただ、ここ恩智の人々は山がすぐそばで燃料用の薪類には困らなかったようです。

「この国の生活文化が逆戻りする現象」「ものによっては縄文の時代にさえ戻った」という表現はおもしろいですね。そこまで戻った生活文化が戦後50年ぐらいで世界トップクラスまで進んだのもこの国ならでの快挙でしょう。私が特に注目するのは、他の急成長国と違って、逆戻りの時でもこの国が培ってきた、武士道などの「道」の精神に支えられ、急成長の時も「道」の精神に支えられてけっして浮き足立つことがなかったことです。これから急変しようとする世界をこの国がリードする気がします。

 

 

カテゴリー: 大阪歴史, 河内の翁 | 投稿日: | 投稿者:

河内の翁 について

飲食店の仕事を現役で行いながら、ご理解いただける仲間とともに、「かむながら」という生き方を実践しています。宗教、宗派を超越したものです。 「かむながら」とは、「常に根源神を意識しながら行動する」という意味です。 根源神とは、宇宙を創った存在のことです。宇宙の全て(私達を含む)は、創った存在(根源神)とは常につながっていますので、宇宙そのものとも表現できます。