白ひげ神社・猿田彦・道案内・かむながらの道

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琵琶湖の白ひげ神社に参拝する二組の霊能者を車でお連れしたのですが、一人は私を猿田彦だといい、もう一人は霊能者個人の神社に白ひげさんをお祀りしていて、私にこの神さんはかわいそうな神さんだから、お祀りしてあげてくれと頼まれました。当時、私は二人の霊能者に頼まれたからお連れしただけで、なんの興味もなかったのでそのまますっかり忘れていました。

先日の出会いでいただいた琵琶湖の中に建てられた鳥居の写真を見ていると、いま「超健康法・かむながら」への道案内をしている自分の姿としっくりくるのです。

猿田彦は「日本書紀」で、天孫降臨の際に、道がいくつもに分かれるところで、天照大神が遣わされた邇邇芸尊(ににぎのみこと)を道案内したと書かれています。

次に話す話はなにを根拠にいっているのか記憶がありませんが、猿田彦が伊勢神宮の神官をしていたとき、巫女との深いつながりができて、それが不都合を起こすということで、琵琶湖の今の白ひげ神社のところまでこっそり追放されます。猿田彦すなわち白ひげさんは、海で漁をしていたときに比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ、溺れ死んだということにされたということで、かわいそうな神さまだと霊能者が私に伝えたのでしょうか。

しかし、私の夢の中での思いは、好きな女性と別れさせられた悲しみではなく、猿田彦が示した道(本当は歩く道ではなく、人が生きるべき道の事すなわち、日本古神道かむながらの道)を天照大神が理解しきれなかったことによる誤解に対する思いであったと感じられるのです。

それが頂いた写真が私に語りかけるもののような気がします。私はその時の「かむながらの道」をいま「超健康・生活瞑想」として人々に理解していただかなければなりません。本来の人の姿ですからけっして理解し難い難しい事ではないのですが、誰もがあまりふだん意識しないことなので興味を持ち難い世界です。それが難しく感じさせます。できるだけ分かりやすく、興味の持つ方法でお伝えしなければという思いを強くしました。

 

 

カテゴリー: 河内の翁, 神社・仏閣 | 投稿日: | 投稿者:

河内の翁 について

飲食店の仕事を現役で行いながら、ご理解いただける仲間とともに、「かむながら」という生き方を実践しています。宗教、宗派を超越したものです。 「かむながら」とは、「常に根源神を意識しながら行動する」という意味です。 根源神とは、宇宙を創った存在のことです。宇宙の全て(私達を含む)は、創った存在(根源神)とは常につながっていますので、宇宙そのものとも表現できます。