心の健康8・「聖なるあきらめ」1

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『聖なるあきらめが人を成熟させる』(鈴木秀子著)に次のような無名兵士の祈りが紹介されていました。

「ある兵士の祈り

大きなことを成し遂げるために力が欲しいと神に求めたのに

謙遜を学ぶようにと弱さを授かった。

より偉大なことができるように健康を求めたのに

より良きことが出来るようにと病弱を与えられた

幸せになろうとして富を求めたのに賢明であるようにと貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようと成功を求めたのに

得意にならないようにと失敗を授かった

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに

あらゆることを喜べるようにと生命を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが

願いはすべて聞き届けられた

神の意に沿わぬものであるにもかかわらず

心の中の言い表せないものは全て叶えられた

私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ

(訳:G・グリフィン神父)

この本では、人が持つ執着心を手放すことで、与えられるものがあり、それに感謝することで人は幸せになれることを紹介している。それを著者は「聖なるあきらめ」と呼んでいる。この兵士の祈りは、心の表層部分と、心の深層部分を示し、その間に神の愛の働きがあり、自分を幸せにしてくれたことに気づき、感謝している。

こころの表層部分の望みはここでは達成されなかったと書いていますが、達成されたところで、どこまでいっても満足することがないのに、深層部分の「心の中の言い表せないもの」は叶えられると満足し、幸せになり、感謝できるものなのですね。

だから、心の表層部分の「あなたが理性で理解している望み」に執着しないで、手放しなさい。それらは本当のものではない。そうすれば、深層部分の「心の中の言い表せない本当の望み」を手に入れることができますよと言っています。

そういうことなら、私たちは心の表層部分に現れる望みがあたかも自分の望みであるかのように勘違いしているということなのですね。表層部分での望み、たとえば、お金を持ってお店にものを買いに行くとか、食べたいものがあってお店にいって食べるとか、行きたいところがあって電車に乗るとか、そういう単純な望みが得られる心の表層部分の働きを、複雑で見えない世界に働く心の深層部分の働きを同じものと考えてしまっているのですね。

カテゴリー: 心の健康, 河内の翁 | 投稿日: | 投稿者:

河内の翁 について

飲食店の仕事を現役で行いながら、ご理解いただける仲間とともに、「かむながら」という生き方を実践しています。宗教、宗派を超越したものです。 「かむながら」とは、「常に根源神を意識しながら行動する」という意味です。 根源神とは、宇宙を創った存在のことです。宇宙の全て(私達を含む)は、創った存在(根源神)とは常につながっていますので、宇宙そのものとも表現できます。