心の健康9・「聖なるあきらめ」2

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鈴木さんの本の中の、いくつかの例を紹介しましょう

<突然の大病で築いてきた地位・財産・人間関係を失ってしまった話>

このような環境の中でこの人は次のようにいっています。

「人間ですから、『あれがほしい』『こうなりたい』という欲望は避けられません。欲望とは単なる『執着』です。そして『執着』とは満たされないことが多いものです。でも、より深い魂の領域に眼をむけたときに、自分が『すっきりして生きること』を本当に楽しんでいれば、たとえ『執着』が満たされていなくてもいい。そう思えるようになりました。」

?<人生の目的・幸せの意味gはっきりできない人>

「人生の目的や、自分にとっての幸せがわからない状態。それはとても困った状態です。なぜなら行動のもととなるべき指針がわからず、自分の軸をしっかり保てていないことになるからです。

そういう人は自分のほしいものを書きだしてそれがなぜほしいのか答えます。そしてそれが叶えられるとどんないいことがあるのかという問いを繰り返すと、皆同じ答えにたどりつくそうです。

「自分も幸せになり、周りの人も幸せになる」

<元総理・吉田茂の話>

どうして総理になれたのかというある人の質問にたいして次のように吉田さんは答えています。

「僕は英語やフランス語、ドイツ語など、なんでも母国語のように話せる人とは違うんだ。外国語がよくできたら外交官で終わっていたのだろうけれでも、それほど得意ではなかったので人の力をうまく借りることを学んだのだ。僕より優れた多くの人の力を、うまく活かしていくことを学んだんだよ。そんなこともしたから総理大臣になれたのかもしれないな。」

私はこれを読んで、学校教育をほとんど受けないのに日本一の高額所得を何年も続けている斎藤一人さん、字の読み書きもできないために、優秀な人材を採用して高額所得を得ている人を思い出しました。自分に能力をつけることをあきらめて、吉田さんのように優秀な人にまかせることを考えるのがさらに優れた道ではないでしょうか。

吉田さんは次のようにいっています。

「自分ができることでも誰かにおまかせして、『いいね』とほめる度量の広さがあるかどうか。これが、人づきあいが上手か、人に好かれるかどうかの差だよ。」

人は心でつながっているということを忘れがちですね。ひとりで、仕事をしたり、生きていると思ってしまいがちですが、気づかないでも人の心のつながりの中で生かされているという現実を再認識させていただきました。

<著者の臨死体験>

「気づくと私は、今までにみたこともないようなきれいな光に包まれていました。それは温かく、気持のいい光でした。光に包まれすべてが一体となった感覚があるのですが、自分の存在はしっかりとあるのがわかりました。

私を温かく包んでくれている光は人格を持つ存在で、深いところで私とつながり交流していました。私は思わず叫びました。

『これが至福だ! 私は今、完全に自由だ!』

そして、その光の主に私は全て理解され、受け入れられ、許され、無条件に愛されていると感じたのです。」

心の深層部分がつながっているところを著者は見せられたのですね。あまりにもすばらしい世界に現実世界に戻りたくないと思う著者に、癒してほしい人がいることを教え、、そして生きていく上で一番大事なこと、”知ること”そして”愛すること。その二つを中心に考えるように諭して現世に戻されます。著者の役割をはっきり教えていただいたのですね。

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カテゴリー: 心の健康, 河内の翁 | 投稿日: | 投稿者:

河内の翁 について

飲食店の仕事を現役で行いながら、ご理解いただける仲間とともに、「かむながら」という生き方を実践しています。宗教、宗派を超越したものです。 「かむながら」とは、「常に根源神を意識しながら行動する」という意味です。 根源神とは、宇宙を創った存在のことです。宇宙の全て(私達を含む)は、創った存在(根源神)とは常につながっていますので、宇宙そのものとも表現できます。