心の健康12・何に安心していきているのか?

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三浦さんは、闘病生活と自らのキリスト教信仰に関して自伝『道ありき』(三浦綾子著)

の中で次のように述べている。

「考えてみると、わたしたちは大地に安心して生きているのと同様に、何物かに安心して生きているのではないだろうか。それは、ある人には金であり、ある人には健康であり、ある人には地位であるかもしれない。しかしこれらのものは、大地よりももっと度々揺らぐものなのだ。決して絶対的に頼れる存在ではないはずなのだ。

?私はあらためて、自分は一体何に安心して生きているのかと反省してみた。わたし自身、何にも安心を持っていたわけではない。むしろ何者をも信じ得ない不安な魂を持っていたはずである。だがその私の心の中にも大地の上に乗っかっているような安易さがあったのではないかと、反省させられた。ほんとうに私の魂が不安であるのなら、安住の地を求めて、もっと厳しい求道の生活をしなければならないはずであった。その求道の姿勢がいい加減であったと言う事は、やはり私もまた、安住してならないところに安住をしていたのではないかと思い、考えさせられたのである

?私はそれまで漫然と読んでいた聖書を、真剣に学ぶようになった。」

人の心は絶えず、揺れ動き、不安がつきまといますが、信仰の上に安住できるものなのですね。

本来、人は、いやすべての存在が宇宙の創造者につながっているのに、それを忘れて、物質や目先のものに意識の大半を向けているために起きている不安に気づいていません。そこにしっかりと意識をつないでいたら、不安はありません。宗教はそれを手助けしてくれるのですね。

カテゴリー: 心の健康, 河内の翁 | 投稿日: | 投稿者:

河内の翁 について

飲食店の仕事を現役で行いながら、ご理解いただける仲間とともに、「かむながら」という生き方を実践しています。宗教、宗派を超越したものです。 「かむながら」とは、「常に根源神を意識しながら行動する」という意味です。 根源神とは、宇宙を創った存在のことです。宇宙の全て(私達を含む)は、創った存在(根源神)とは常につながっていますので、宇宙そのものとも表現できます。