宇宙意思4・タオの概要

Share on Facebook
LINEで送る

『タオ・ヒア・ナウ』(老子著・加島祥造訳)から、いくつか抜粋して、コメントのかわりに「私」と「師」の会話をつけます。

「足りないだらけの状態は、裏返せばそこに足りた状態が控えているのさ。根性も人生も曲がっているということは、それはそのままじきにまっすぐになるってことさ。」

「空っぽだったら、すでにそこにたっぷり満ちるモメントがある。ひどいボロ状態だったら、それはもう、新しくなるモメントで一杯なんだ。足りなければ、そのままにしているのが、足りてくることなのさ。なまじ自分でかき集めたら手に負えなくなるぜ、ごちゃごちゃしちゃって。」

私: 確かに、曲がった私の人生はいま、まっすぐになろうとしています。足りない、足りないという思いが心を占めていましたが、いまは、満ち足りたものが心を占めるように変化しつつあります。

師: そうだ。すべては刻々と変化していくのが、この世界だ。良いことも悪いことも続かない。タオはその全てだから、良い悪いもない。変化があるだけだ。足りたところは足りないところになり、足りないところは足りたところになる。

「空っぽだったら、すでにそこにたっぷり満ちるモメントがある。ひどいボロ状態だったら、それはもう、新しくなるモメントで一杯なんだ。足りなければ、そのままにしているのが、足りてくることなのさ。なまじ自分でかき集めたら手に負えなくなるぜ、ごちゃごちゃしちゃって。」

「ざわざわ落ち着かずにいないで、ゆったりしているべきなんだ。慌ててバタバタ動いていたら、必ずあんたの中心は消え去っちまう。その中心とはタオにつながるものさ。」

「力ずくで何かをやり遂げよう戸する時、必ずその力への反発が生じる。(中略)本当に必要なことをするだけにとどめて、自分の力をむやみに振るわないことだ。(中略)『わたしが何かをするのではなくて、それは『自然に起こるのだ』と認識することだ。」

「本当にタオとつながるひとは、ゆったりとした真実の働きの中にいる。そしてうわべの流れを見すごして平気なんだよ。結果が自然にでてくるのを待つ人であり自分から目指したりとったりしない。」

「もしタオと強くつながっていれば、なかなか強いものなんだ。ちょうど谷が、水に満ちていて、流の絶えないのと同じだ。タオとの調和が有る姿には、常に、全体の働きがある。」

「この宇宙の中のもっともソフトなもの、たとえば水や空気と考えてよいが、それらは、もっとも堅いもの、たとえば岩のようなものを突き動かし、割り、やがてはこのごなにしてしまう。なぜって、水や空気のような柔らかいものは、隙間のないようなところにも入り込み、働くのだ。それは静かな、目に見えない働きだ。」

「目的など見えない働きは、この世ではなかなか人に気づかれない。けれどもそれは、比べようもなく尊い宇宙の働きなのだよ。」

「君はどっちかだねー地位が上がるためには、収入や財産を増やすためには、自分の体をこわしたってかまわないかね。それとも自分の命を大事にしたいかね。命を大切にする人は地位が低くたって、収入が多くなくたって、あまり気にやまないのさ。自分の生きる楽しさを犠牲にして、名誉や地位を追うものは、実はいちばん『何か』をとりそこねている人だ。ひたすら金銭やものをためこむものは、実は大損をしているのさ。」

私: 確かにタオにつながる前は愚かでした。生活に必要なお金は稼がなくてはと、寝る間も惜しんで、人の倍、働き続けました。楽しさなど味わう心のゆとりもありませんでした。体が資本だから指圧などの治療を受け続けてはいましたが、努力すればするほど財産が減っていくのです。名誉や地位など思ってもいなかったので、気にはなりませんでしたが、他人の治療まかせで、自分で体を思いやることもしていませんでした。

師: 君の世代は努力が至上のものであるかのような教育を受けた。君はその典型だ。しかし、名誉や地位を追っかけていなかったので、愚かではあったが、まだ命はあったのだろう。楽しさを味わう心のゆとりがなかったといっているが、それが大事なのだ。タオにつながれば、その悦びもある。それがいかに君の人生を豊かに彩るものか、いま体験していると思うが。

私: はい。タオとは離れたくありません。

 

「人間の活動もかっかとして騒ぐものは、じき冷えるんだ。静かさだけが、本当の熱情を保てるんだ。静けさや落着きが、この世を、あるいは宇宙を、整える力なのさ。」

 

 

「ひとたびタオの見えてきた人には、駆け回らなくてもわかるんだよ。無理に見ようとしなくても、理解の光が届くんだ。特別何もしなくたって、だから、とてつもなく大きなことがしあがっていくんだよ、君の中にね。」

私: タオが見えていないとき、知識に頼って、努力を重ねました。努力は実らず、何度も崩壊し、まるで砂上の楼閣でした。しかし、砂上の楼閣を何度でも建ててやるぞと思っていましたね。愚かとしかいいようがありません。

師: 確かに愚かだ。だけど愚かだったからこそタオにつながったのだよ。なまじ賢い人はタオが理解できない。

私: それはありがたい。 そして、タオにつながれば、とてつもなく大きなことが仕上がっていく。砂上の楼閣とは全く反対に、少しの努力でまわりが連動し、いつのまにか巨大な楼閣になっています。タオのチカラは想像以上のものです。

「知識を学ぼうとするものは、毎日何かを知り、覚え込もうとする。タオを求める人は、毎日何かを忘れ去ろうとする。何かを自分の頭から捨て、さらに捨てていくとき、はじめて無為が生じる。無為とは、何もしないことじゃなくて、知識を体の中に消化した人が、何にたいしても応じられるベストな状態、そのことなのさ。世間のこともまわりのことも、なるがままにさせておき、黙ってみていられる人になる。その方がうまくいく、という計算さえもたずにね。」

私: 私はすぐ忘れるので、これはお任せ下さい。

師: いや、そのあとをよく読んでね。「知識を体の中に消化した人」と書いてあるだろう。君は消化する前に忘れてしまっている。知識が悪いのではない。知識はタオにつながって消化することが大事だということだ。

 

カテゴリー: 宇宙意識, 河内の翁 | 投稿日: | 投稿者:

河内の翁 について

飲食店の仕事を現役で行いながら、ご理解いただける仲間とともに、「かむながら」という生き方を実践しています。宗教、宗派を超越したものです。 「かむながら」とは、「常に根源神を意識しながら行動する」という意味です。 根源神とは、宇宙を創った存在のことです。宇宙の全て(私達を含む)は、創った存在(根源神)とは常につながっていますので、宇宙そのものとも表現できます。