八尾市恩智の縄文遺跡

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<縄文遺跡の上にすむ恩地研究会のメンバーO君>

恩地研究会のメンバーI君がとどけてくれた八尾市埋蔵文化財調査センターの資料、2010年、2018年の資料が、メンバーの中で話題に上りました。前期縄文時代(約12000~6000年前)の中葉、後葉の恩智遺跡から縄文土器がみつかっています。

これを見たO君は驚いてメンバーに伝えました。「俺の住居の下が縄文遺跡だった。」

<「つながり体操」の波動世界>

私はこれを聞いて、わたしの提唱する「つながり体操・波動世界のつながりを確信しました。目に見えない波動世界の働きがわれわれを動かしている。

たびたび、このような体験をする私は、O君に、

「やはり君はこれからも恩智の歴史を研究しなければならないんだ。」

先日の研究会に配られたのに、この資料を読んだのはO君ひとりだったようです。

<氷河期から縄文時代へ>

 およそ2万年前の日本列島は氷河期でした。大陸は厚い氷でおおわれて、海水の減少で当時の海岸線は紀伊水道あたりで、このあたりは、「古大阪平野」と呼ばれる盆地でした。

それが縄文時代には、温度が上がり、陸の氷は解けて、海の水位があがり、恩智付近は海岸線となっていました。狩猟や、漁業などに加え、山の幸、里の幸、海の幸にめぐまれ、豊かな食生活が豊かな村社会を形成していたようです。日本、とりわけ恩智は、きびしい氷河期から豊かな時代を迎えるのですね。

<縄文人に始まる「カムナガラ

いまの私たちのように余計な知識に惑わされることなく、ただただ自然を見つめ、感謝して、全身全霊、自然に溶け込んでいる。その深奥に宇宙の働きを感じながら「カムナガラ」という生き方をしたのですね。そして、いま私が気づいている様に、自分自身の身体の中にその偉大なエネルギーを感じていたと思われます。

<恩智神社の神は縄文時代の神>

この時代にお祀りしたのが、食物の神、すなわち、恩智神社に祀られている大御食津姫です。(『ニギハヤヒ』(戸矢学著)で縄文の神と書かれています。)当時海の中の島であった天皇の森に祠があったのでしょう。今の位置に移したのは、南北朝時代の恩地左近であることが知られています。途中で天児屋命をまつるようになったが、ふたたび大御食津姫を祀ったのでしょうか。

恩智神社は縄文時代からの古い神社だったのですね。

 

 

 

 

カテゴリー: 河内の翁 | 投稿日: | 投稿者:

河内の翁 について

飲食店の仕事を現役で行いながら、ご理解いただける仲間とともに、「かむながら」という生き方を実践しています。宗教、宗派を超越したものです。 「かむながら」とは、「常に根源神を意識しながら行動する」という意味です。 根源神とは、宇宙を創った存在のことです。宇宙の全て(私達を含む)は、創った存在(根源神)とは常につながっていますので、宇宙そのものとも表現できます。