「かむながら」の生活(2)

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人K)ところで、先日の「かむながら」の話だが、どうなった。道具箱は片付いたのか?

私)ああ、そうだったな。ようやく、今日、片付いたよ。さるすべりの枝を伐採しておいたのがそのままになっていて、市のゴミに出せるように小さくカットした。そのとき、道具箱がそのままになっているのに気付いた。これまでのところに収まらなかった収納箱の中身をみると、さまざまなものが混在している。三分の一が捨てるべきものだった。必要なものは新しい道具箱に分散して入れた。あの当日は、収納空間をどうして作ろうかとしか考えていなかった。

これが、「かむながら」だ。当時にはない発想が生まれて、実行する日は違う展開になる。

それにあの翌日は急に寒くなった日だった。家内に言われて、ストーブなど、暖房対策をした。台所の食卓テーブルの下に、ストーブを入れて着けると、その場所から離れられない。結局、道具箱の整理や収納はできなかったよ。

だけど、それをしていたら、風を引いたか、体が冷え切ったかもしれない。コンピュータの仕事も、ストーブを入れながら行ったので、体の負担はあまり無かった。

それよりまだ、すごいことがあったよ。裸になって風呂に入ろうとすると、浴室は暖かいが、湯船にお湯がない。

友人K)なんだ。結局体を冷やしてしまったのか。

私)いいや。湯が溜まってくる間、上半身は濡らさずに、じっと湯船で待った。体はストーブで温まっていたので、それほど寒くはなかった。湯がたまってきて、下半身から、ぬくもってくる感じが体に良かった。

知性では、不都合に思いがちなこと、それが見えない存在が与えてくれていることを知ると、時を待ち、時が訪れると、それが大きなプラスであることが分かる。それを感謝しながら味わう。

友人K)知性で即断せずにしばらく様子を見るのか。見えない存在が何のためにこの状況を創ってくれているのか、そう君は感じて見守っている。すると、時がくれば、その答えがわかってくる。

私)そうだ。自分の知性だけで最後まで判断してしまわない。今日も庭の入り口の不要になったブロックを洗濯干し場の足元の不足分として利用することになった。不足分は購入しなければならないと思い込んでいたのに、今日の工事で、再利用のブロックが使える事が分かった。

土の中に埋め込んで、手作りスロープの支えになっていたものだが、手作りスロープが不要になったので、除去することになった。この話は以前にしたよね。その再利用など全く考えていなかった。しかし、再利用するという目線で見ると、近くで、縦に使用していたブロックを横にすることで、その余った分が利用できることも見えてきた。今日はやらないが、新しい見通しができた。

今日は珍しく、まる1日、なんの予定も組んでいなかったので、どんな日になるかと思っていたら、朝の「マッサージ体操」から違っていた。「手当て体操」、「手かざし体操」と呼ぶだが、「手当て体操」を手を動かさずに、体の方を動かすというものだ。

「手かざし体操」とは、手をかざしながら体を動かすものだ。「手当て体操」をづ脳の周りに、「手かざし体操」を腰の周りに追加して行った。

これが驚いたことに脳に働きかける力が強いことが分かった。いままでの工夫がもうひとつ効果がなかったのに、今日は驚きだ。今日は体改善の日だ。太陽を浴びるために、自宅前の2件の畑から食べるようにといただいている、柿の採取、サトイモ掘りを行った。夕方早めにお湯場温泉にも行って体の芯から温めた。

友人K)休養の1日だったんだ。ところで「手当体操」、「手かざし体操」とはどんなもの?

 

 

 

 

 

 

カテゴリー: 河内の翁 | 投稿日: | 投稿者:

河内の翁 について

飲食店の仕事を現役で行いながら、ご理解いただける仲間とともに、「かむながら」という生き方を実践しています。宗教、宗派を超越したものです。 「かむながら」とは、「常に根源神を意識しながら行動する」という意味です。 根源神とは、宇宙を創った存在のことです。宇宙の全て(私達を含む)は、創った存在(根源神)とは常につながっていますので、宇宙そのものとも表現できます。