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生を活かす・元のつながり・縄文時代・カムナガラ

<カムナガラとは?>

質問者)あなたが「カムナガラ」という生き方をされているというのを聞いたのですが、どのような生き方なのですか。それと「つながり体操」とは関係があるのですか?

私)はい。「つながり体操」も「カムナガラ」の生き方から与えられたものだと思っています。「カムナガラ」の生き方は、「生活瞑想」とも呼んでいました。

<縄文時代の人々・生活瞑想>

私)「生活瞑想」とは、生活=生を活かすことと、瞑想=元とのつながりを意識することを意味しています。それは縄文時代の人々の生き方に、人の本来の生き方を感じたからです。

 質問者)いま、科学が発達して、この快適な環境の時代にどうして縄文時代にもどる必要があるのですか?

私)いえ、縄文時代に戻りたいわけではありません。その時代の人々がすべてのものの中に神を感じて、生活していたのに、今の私たちはそれをすっかり忘れてしまった。そのためにストレスを貯めていろいろな好ましくない症状に悩まされています。それが「カムナガラ」を復活させた理由です。

 質問者)いま、この時代に縄文時代の生き方ができるのですか。ストレスをなくすことなどできるのですか?

私)縄文時代にもストレスはありましたし、ストレスを完全になくすことはできません。しかし、縄文の人たちは、ストレスから回復すること、ストレスを小さくすることを知っていました。

質問者)「カムナガラ」とはどんなものであるか教えていただけますか?

—次回に続く

大阪府八尾市恩智(恩地)は超上忍者の里

<「つながり体操」による出会い>

「つながり体操」の効果として、目に見えないつながり力が強化されて、絶妙の出会いが増えてきます。今回は、このタイミングで、『忍者の教科書』(伊賀忍者研究会編)に出会いました。わずか48ページの本ですが、『新萬川集海」という副題をつけているように、忍者の世界をわかりやすくまとめていました。いまの人がすんなり理解できます。

<忍者の主な仕事は情報の収集>

忍者の主な仕事は情報の収集でしたが、それは命がけの危険な仕事でした。忍者であることは絶対に人に知れてはなりません。伊賀や甲賀は山間の隠れ里でその点では、恵まれていました。

しかし、楠木正成と恩地左近の深い絆から、恩地やその周辺にもこの忍者たちが住み着いていたと思われます。赤坂城の戦いで使われたにわとりを持ち帰って恩地に住んでいた武士、赤坂城の戦いのときに楠木正成が死んでしまったと泣き降らして敵を欺いた者の末裔が最近まで恩智に住んでいたこと、古代に機織りの技術を伝えた渡来人「はたおりべ」の先祖を持つ伊賀の服部半蔵と同じ服部の姓が隣の垣内地区にあること、猿楽の元締めが恩智にあったことなど、忍者色が強くただよっています。

<忍者であることを完璧に隠した恩地の忍者>

しかし、忍者がいたという話は全く残っていません。これは伊賀よりさらに忍者色を消した、上級忍者の住んでいた可能性を示すものではないでしょうか。そういう意味で恩地の忍者は超上級の忍者だったと思われます。

<縄文の神の上?でこの本を読みました「カムナガラ」>

縄文時代は大きな岩を神として扱いました。それは人に元気を与える大きなエネルギーを持っていることを感じていたからだと思います。いまそれに気づいたのが岩盤浴ではないでしょうか。私は大きな岩(神?)に敷物を敷いて30分ほど本を読みました。私はこの習慣を「カムナガラ」の一つにしています。元気が回復しました。