カテゴリー別アーカイブ: 河内の翁

日本神道とキリスト教1

私)日本神道の祭事の方法が似ていることから、日本神道のルーツはキリスト教ではないかという人がいます。私もそう考えています。

友人M)畑中さんも若いときにキリスト教に縁があったそうですね。

私)高校生のときに学校の帰りにキリスト教会を訪れていました。ちょうど、哲学に没頭していた時です。仏教の教える「慈悲」が物足りなくて、「愛」を求めて教会にいったのです。しかし、その後聖書を読んでも何か物足りなさを感じていました。Mさんもいまキリスト協会にいっておられるようですが、私と同様、そんなものを感じておられるようですね。

友人M)そうです。教えは統一教会のほうが、もっと心に響きます。

私)実家は天理教だとおっしゃっていましたね。私も母の里が天理教なので、天理教の精神にも強い影響を受けていると思います。天理教も神道も宇宙の元の神とつながります。キリスト教も本来はそうなんですが、現実には聖書を利用した知性教育の感がします。

しかし、その後マグアナのマリアのことを読んでその理由がわかりました。ほかの弟子が、イエスがマリアを特別扱いすることに不満を持っていたようです。マリアはイエスと同じように直接、神を感じていましたが、ほかの弟子たちは、知性でイエスやその教えを理解したのです。

「これだ!」と私は思いました。

(続く)

日本神話と「かむながら」4

私は幼いときは、物事を考えるときに頭の中で絵が動いていました。それが、中学生になり、一日の大半を文字を通した学習を続けるあいだに、いつのまにか、文字に代わっていました。いま、また絵が復活し、たまに、音が聞こえたりします。音は名前を呼ばれるのが大半ですが。

これらは瞑想と呼ばれるものです。波動の世界の入り口です。音、絵にしても耳や目などの器官を通すものではありません。いきなり、脳です。

最近、これにマッサージ体操が皮膚を通した瞑想を体験させてくれました。皮膚の感覚は精神を統一しようと意識しなくても、意識を皮膚感覚に全投入してくれます。ずっぽりと波動に浸ります。しかも、マッサージ体操によって、体が真底から回復します。この人体という小宇宙を創造した創造主に繋がる感覚です。

何を見、何を聞き、皮膚で何を感じても、からだの真底の波動につながる生き方、それが私の実行する「かむながら」ですが、古代日本人は、いまの環境と違って知性の影響が少なかったから、そのままで、私の幼少の頃の感覚を終身維持できていたのですね。宇宙の働きを小宇宙と呼ばれる人体で受け止めて、日本神話のような表現となったのでしょう。

わけのわからない『記紀』の日本神話は、実は日本人の原点だったのですね。今の子供は、小学生から知的教育をたっぷり受けていますから、私と同様、日本神話はそのままストレートには理解できないかもしれません。そういう意味では飯田正孝さんのこの本『日本神話解明と古代文明』は分かりやすいですね。