カテゴリー別アーカイブ: 神社・仏閣

奉納和太鼓・芸術性

今朝、蒲団の中で2時間余り、昨年秋に与えられた宇宙体操(マッサージ体操)を行いました。起きて鏡を見ると、和太鼓で出会った演奏者の目の輝きがありました。先日、帰宅して自分の目の輝きを確かめたのですがそのときにはその輝きはありませんでした。

頭部のマッサージを30分もしたのが、その決めてとなったのでしょう。もちろん、先日の和太鼓の演奏者の視線の強烈な印象が一番の引き金だったと思います。

芸術というのは、視聴者(観客)を精神世界の極致のエネルギーにつなぐものなのですね。演奏者はそのつながりを知っていて、その世界に入り込んでエネルギーに満たされる。それが虚空を見つめるあの視線だったのですね。そのうち、完全にその世界に入り込んで、満たされて演奏と同化し、やがて溢れ出たエネルギーを私たちに向けたのですね。

写真を見て、同化している姿が見られましたが、写真には無かった、私たちに投げかけるあの視線を体験しなければ、ここまでの感動は体験できなかったでしょう。また、後日、私が目の輝きを取り戻すことも無かったでしょう。

知性教育が過剰に行われている現状を危惧していましたが、それも行き着くところまで行き着けば、これからは、精神世界のエネルギーを楽しむ時代に変わっていくのでしょうね。

奉納和太鼓・浅井さんの写真紹介

恩智神社奉納和太鼓の翌日朝、さっそく浅井さんが写真を届けてくださいました。なんと、CD三枚です。しかも、いいカメラで、画素数が大きすぎて、画素数を落とす作業をしないとこのブログに載せられません。作業が多くて遅れましたが、表情を見ると、演奏者のこの笑顔の極み、感動は当然だったと納得です。富田林の和太鼓の継承は続き、その何人かはプロになっていくそうです。プロにならなくて、家庭に入った人たちでもプロ以上の実力をお持ちなのですね。

IMG_0229 3

3 4

5 6

8 9

15 12

16 17

18 19

20 25

26 29

30 31

32

こうして振り返ってみても、恩智左近に奉納するのにふさわしい和太鼓だったとおもいます。尻谷さんはお会いするたびに、楠木正成は恩智左近がいたからこそあれだけの働きができたのだとおっしゃっていますが、この和太鼓奉納は恩智左近にふさわしいものだったと痛感します。尻谷さん、これだけの準備をするのは並大抵のことではなかったでしょう。本当にありがとうございました。

14

恩智神社・春の卯辰祭・太鼓の奉納4/22(日)

この日の新海宮司の祈祷は恩地左近のために奉納される太鼓を意識してか、緊張より、喜びにあふれたものでした。

尻谷さんが連れてこられた富田林の6団体による太鼓の奉納は予想をはるかに超えたものでした。太鼓を打つ人たちは、喜びの世界に入り込み、それは私たちをもその世界に誘ってくれました。各団体の数人の太鼓が作り出すその世界はつながりの極致を演じて、心の奥、元を響かせてくれました。

ひとりの演奏者の女性が神の世界(異次元空間)を見つめているようなまなざしで太鼓を叩いていましたが、途中からそのまなざしを私たちの方に向けてくれました。恋人にみつめられたような、いや、それをはるかにに超えて私の心にしっかりと届きました。

長く味わったことのない、子供の頃の記憶につながって、いつのまにか消えてしまった日本人のこころを思い出しました。あの頃は人はみんな輝いていました。この演奏者のような目をしていました。55年ほど前から西洋文化がその輝きを奪ったような気がします。その頃の輝きを持った人が奉納太鼓のメンバーに数人いました。

境内の木々も深い部分から輝いていました。天児屋命の社もいままで見たことの無いエネルギーに満ちた姿をしていました。しっかりパワーを頂いて、次の約束の集会にいくと、いきなり、「畑中さんどんないいことがあったのですか。お聞かせください。輝いておられます。」といわれました。

写真は恩地研究会の浅井さんが撮ってくださったので、頂いたら紹介させていただきます。

白ひげ神社・猿田彦・道案内・かむながらの道

琵琶湖の白ひげ神社に参拝する二組の霊能者を車でお連れしたのですが、一人は私を猿田彦だといい、もう一人は霊能者個人の神社に白ひげさんをお祀りしていて、私にこの神さんはかわいそうな神さんだから、お祀りしてあげてくれと頼まれました。当時、私は二人の霊能者に頼まれたからお連れしただけで、なんの興味もなかったのでそのまますっかり忘れていました。

先日の出会いでいただいた琵琶湖の中に建てられた鳥居の写真を見ていると、いま「超健康法・かむながら」への道案内をしている自分の姿としっくりくるのです。

猿田彦は「日本書紀」で、天孫降臨の際に、道がいくつもに分かれるところで、天照大神が遣わされた邇邇芸尊(ににぎのみこと)を道案内したと書かれています。

次に話す話はなにを根拠にいっているのか記憶がありませんが、猿田彦が伊勢神宮の神官をしていたとき、巫女との深いつながりができて、それが不都合を起こすということで、琵琶湖の今の白ひげ神社のところまでこっそり追放されます。猿田彦すなわち白ひげさんは、海で漁をしていたときに比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ、溺れ死んだということにされたということで、かわいそうな神さまだと霊能者が私に伝えたのでしょうか。

しかし、私の夢の中での思いは、好きな女性と別れさせられた悲しみではなく、猿田彦が示した道(本当は歩く道ではなく、人が生きるべき道の事すなわち、日本古神道かむながらの道)を天照大神が理解しきれなかったことによる誤解に対する思いであったと感じられるのです。

それが頂いた写真が私に語りかけるもののような気がします。私はその時の「かむながらの道」をいま「超健康・生活瞑想」として人々に理解していただかなければなりません。本来の人の姿ですからけっして理解し難い難しい事ではないのですが、誰もがあまりふだん意識しないことなので興味を持ち難い世界です。それが難しく感じさせます。できるだけ分かりやすく、興味の持つ方法でお伝えしなければという思いを強くしました。

 

 

「万治」の石仏・「万」(全て)「治」る・「生活瞑想・かむながら」

前回に紹介したご夫婦が、「万治の石仏」を知っているかと聞かれました。知らないと答えると、正確なことはネットで調べてくれた方がよいとおっしゃいました。琵琶湖の写真と一緒に、この写真も届けてくださいました。

「万治」の石仏の「万治」は年号で万治3年(1660年)に建てられたことによる名前だそうです。

ブログでは、「1974年、たまたま諏訪大社の御柱祭を見学にこられた画家の岡本太郎さんや、作家の新田次郎さん方が感嘆されたことにより、一躍話題を呼び講演または雑誌等で全国に紹介されしられることになりました。」と書かれています。

誕生の由来として次のように紹介されています。

「明歴3年(1657年)、諏訪高島三代藩主忠晴が、諏訪大社下社春宮に遺石の大鳥居を奉納しようとした時のこと。命を受けた石工がこの地にあった大きな石を用いようと、ノミを打ちいれたおり、はからずもその石から血が流れ出た。驚き恐れた石工は大鳥居の造作を止め、あらためてこの不思議な石に阿弥陀様を刻み、霊を納めながら建立された・・とされているのがこの石仏です。」

DSC_0524[1]

雪の上に出た御姿は上のようですが、全長は2m60㎝もあります。安山岩でつくられています。諏訪大社は諏訪国一宮。国内にある最も古い神社のひとつです。

なぜこの石仏の名前がでて、写真まで届けていただいたのか。

私はメッセージだと受け取りました。すなわち、今、私が自分に治療をほどこしているものは手のつけがたい奥のものまで含めて、「万(よろず)」、「治」りますよというメッセージです。

先日紹介した「生活瞑想・かむながら」では、宇宙の全てがつながる「全意識」を意識しながら、全ての行動をします。体も精神も宇宙のすべてにつながっていますが、体の中の筋肉もすべてが繋がっていることを感じながら動くと、筋肉緊張がほぐれて体が軽くなります。何事をするにも、手だけとか足だけとかいうイメージから脱して、体全体で行います。それが、「全意識」で行われますから、宇宙のエネルギーが働いて、究極の健康へと導いてくれます。

この「生活瞑想・かむながら」が、「万」の病を「治」して元の健康へと導いてくれるというメッセージだと受け取りました。

大黒天(8)根源の存在・相川圭子

「この体の内側には、宇宙のすべてがあります。それを見つめ、深く瞑想していくと、自分はいったいどこから生まれてきたのかがわかってきます。内側を浄化して目覚めさせ、この変化する心と体を活用して、修行します。体、エネルギー、思考,それぞれを浄化し、バランスをとります。深い瞑想を起こし、内側を変容させ、心身を超えると、そこにハイヤーセルフ、本当の自分が現れます。それは、変化しない存在である源の存在です。永遠の存在、不死の存在です。それを発見することですべての疑問が解かれ、心の苦しみが消滅するのです。」

さすがにヒマラヤで命を懸けた修行をされた相川圭子さんです。修行ごくろうさまです。わかりやすい説明ありがとうございました。

大黒寺から始まって、根源の存在まで導いていただいたのは、役小角さんでしょうか。ありがとうございます。

大黒天(7)シヴァ神・ヨガ・相川圭子

大黒天はシヴァ神の化身だと紹介しましたが、そのシヴァ神のことが、ヒマラヤ秘教の正統なる継承者・ヨグマタ相川圭子さんが『宇宙に結ぶ愛と叡智』に書かれていますので紹介します。

「シヴァは、無知や苦しみ、悪を破壊するエネルギーです。そして平和をつくり出していくエネルギーです。深い静寂の中に心理が現れ、自由になることができるのです。それが本当の幸福です。

シヴァはムクシャ、サマディ(解脱)のエネルギーであり、悟りのエネルギーです。人々が苦しみから解放されることを願い、無知から解放への、その術(すべ)を示すヨガを生み出しました。常に揺れ動く心、悲しい心などの心の苦しみは、心理を知らないからあるのです。」

シヴァ神が苦行をおこなっていたことは知っていましたが、それが私たちのためだったとは知りませんでした。しかも、宇宙根源の神と私たちを結ぶためにヨガの行法をつくったのですね。いまヨガというと難しい形をつくらなければならない体操というようなイメージです。しかし、体を知り、その奥に存在する宇宙根源の神を知るためのものだったのですね。

相川圭子さんありがとうございます。

 

 

 

大黒天(6)三面大黒天・毘沙門天

幼いころから信貴山参りをしていますが、ここに祀られている毘沙門天とはどういう神様なのでしょう。ずーと知らないままでしたが、いま70才近くなって初めて知りました。

「今から1400年前、聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に到りました太子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かりました。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でありました。太子はそのご加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建、信ずべし貴ぶべき山『信貴山』と名付けました。」(信貴山朝護尊寺公式サイトより)

この毘沙門天という神様は、古代インドのミトラ(ミスラ、ミトラス)神が地中海地方に入ったのち、古代ローマで隆盛したミトラス教の神様、太陽神ということです。キリスト教が盛んになると消えていったようです。日本では多聞天とも呼ばれ千の耳を持つとされています。また毘沙門天は未来仏の弥勒菩薩(マイトレーヤ)なのだそうです。本地垂迹ではえびすです。日本では形を変えて存続していくのですね。そのかわり、訳が分からなくなってきます。

毘沙門天さんの真言はオン・ベイシラ・マンダヤ・ソワカです。

今回は初代から引き継いだ、布袋さん、大黒天さん、三宝荒神さんのことが分かりました。ありがとうございます。

 

大黒天(5)八尾にある三面大黒と秀吉の千成瓢箪

三面大黒とは、大黒と毘沙門天、弁財天が一体になった神です。八尾でも結婚式場や諸会場として貸しておられるところで祀られています。「三面大黒天王会」と書かれています。

三面大黒天というのは、秀吉の出世守り本尊として知られています。

秀吉は挫折ばかりの少年時代に三面大黒天に出会います。直感で自らの守護神と定め、身近にその肖像を置くようになってから運が開けてどんどん出世し、最後には天下人にまでなります。どんな願望も聞き届けてくださるという大黒天にさらに、毘沙門天、弁財天が加われば願いは次々と叶えられるのですね。

弁財天はインドのサラスヴァーティーで、学問・文芸・音楽の神で富とも結びついています。真言「オン・ソラソバティ・ソワカ」というのは「オン・サラスバーティー・ソワカ」のことなのですね。

秀吉の千成瓢箪との関連でこんな話があります。ああ、それで秀吉が千成瓢箪なのかと理解できました。私のように知らなかった人のために紹介しておきます。

美濃の斎藤攻めで難航している織田信長に木下藤吉郎は背後からの奇襲を進言します。このとき、城の侵入に成功し、火を放ちました。藤吉郎が信長本体に送った合図が槍の先につけた瓢箪だったのです。これが木下藤吉郎改め豊臣秀吉の馬印となって、三面大黒天のおかげで次から次へと戦いに勝って、そのたびに瓢箪を増やしていったので秀吉の馬印を千成瓢箪というようになったのだそうです。

いいかえれば、三面大黒天の加護が「千成」と表現できるほどだったといえます。秀吉が誰にもできなかったような出世を遂げた背後には、三面大黒天の働きがあったのですね。

 

大黒天(4)台所の神・初代から伝わる大黒天

大黒天は「美家古」(初代の屋号は「都庵」)の初代から引き継がれた神でもあります。この記事を書くまで調理場にどうして大黒天がお祭りしてあるのかよくわかっていませんでした。七福神のひとりだからかなとぐらいに考えていたのです。

しかし、インドではシヴァ神は戦いの神だけではなく、台所の神としても祀られているのだそうです。「がってん」です。

また美家古の調理場には布袋さんもお祀りされています。真言は「オン・マイ・タレイヤ・ソワカ」ですが、先日金剛山に登った時に道端に同じ真言が目にとまりました。弥勒菩薩の真言です。布袋さんは寺を持たなかった中国の僧でしたが、弥勒菩薩の垂迹、化身だとも言われています。

どうして調理場に布袋さんがお祀りされているのでしょう。真言三宝宗大本山清荒神清澄寺では三宝荒神の眷属とされているからかもしれません。調理場には三宝荒神さんがお祀りされています。荒神さんについても役小角が金剛山で修行中に、艮(北東)の方角に積雲がなびき、荒神が現れ、その地に祀ったといいます。

三宝荒神さんは火とかまどの神ですから調理場にまつられているのは当然といえます。