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恩智神社・春の卯辰祭・太鼓の奉納4/22(日)

この日の新海宮司の祈祷は恩地左近のために奉納される太鼓を意識してか、緊張より、喜びにあふれたものでした。

尻谷さんが連れてこられた富田林の6団体による太鼓の奉納は予想をはるかに超えたものでした。太鼓を打つ人たちは、喜びの世界に入り込み、それは私たちをもその世界に誘ってくれました。各団体の数人の太鼓が作り出すその世界はつながりの極致を演じて、心の奥、元を響かせてくれました。

ひとりの演奏者の女性が神の世界(異次元空間)を見つめているようなまなざしで太鼓を叩いていましたが、途中からそのまなざしを私たちの方に向けてくれました。恋人にみつめられたような、いや、それをはるかにに超えて私の心にしっかりと届きました。

長く味わったことのない、子供の頃の記憶につながって、いつのまにか消えてしまった日本人のこころを思い出しました。あの頃は人はみんな輝いていました。この演奏者のような目をしていました。55年ほど前から西洋文化がその輝きを奪ったような気がします。その頃の輝きを持った人が奉納太鼓のメンバーに数人いました。

境内の木々も深い部分から輝いていました。天児屋命の社もいままで見たことの無いエネルギーに満ちた姿をしていました。しっかりパワーを頂いて、次の約束の集会にいくと、いきなり、「畑中さんどんないいことがあったのですか。お聞かせください。輝いておられます。」といわれました。

写真は恩地研究会の浅井さんが撮ってくださったので、頂いたら紹介させていただきます。

白ひげ神社・猿田彦・道案内・かむながらの道

琵琶湖の白ひげ神社に参拝する二組の霊能者を車でお連れしたのですが、一人は私を猿田彦だといい、もう一人は霊能者個人の神社に白ひげさんをお祀りしていて、私にこの神さんはかわいそうな神さんだから、お祀りしてあげてくれと頼まれました。当時、私は二人の霊能者に頼まれたからお連れしただけで、なんの興味もなかったのでそのまますっかり忘れていました。

先日の出会いでいただいた琵琶湖の中に建てられた鳥居の写真を見ていると、いま「超健康法・かむながら」への道案内をしている自分の姿としっくりくるのです。

猿田彦は「日本書紀」で、天孫降臨の際に、道がいくつもに分かれるところで、天照大神が遣わされた邇邇芸尊(ににぎのみこと)を道案内したと書かれています。

次に話す話はなにを根拠にいっているのか記憶がありませんが、猿田彦が伊勢神宮の神官をしていたとき、巫女との深いつながりができて、それが不都合を起こすということで、琵琶湖の今の白ひげ神社のところまでこっそり追放されます。猿田彦すなわち白ひげさんは、海で漁をしていたときに比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ、溺れ死んだということにされたということで、かわいそうな神さまだと霊能者が私に伝えたのでしょうか。

しかし、私の夢の中での思いは、好きな女性と別れさせられた悲しみではなく、猿田彦が示した道(本当は歩く道ではなく、人が生きるべき道の事すなわち、日本古神道かむながらの道)を天照大神が理解しきれなかったことによる誤解に対する思いであったと感じられるのです。

それが頂いた写真が私に語りかけるもののような気がします。私はその時の「かむながらの道」をいま「超健康・生活瞑想」として人々に理解していただかなければなりません。本来の人の姿ですからけっして理解し難い難しい事ではないのですが、誰もがあまりふだん意識しないことなので興味を持ち難い世界です。それが難しく感じさせます。できるだけ分かりやすく、興味の持つ方法でお伝えしなければという思いを強くしました。