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カムナガラ(惟神)超健康法

「カムナガラ(惟神)とは、常に創造神を思いながら生活することだって分かってくれたよね。超健康法で学んだことは、日常で実行するんだよ。意識と体をつなぐ。自分の体の中のつながりを意識して日常生活を送る。これで世の中が激変する。」

「オーバーだな。でも、毎日楽しくなったのは確かだ。」

「体操は体操の時間にする、日常生活は別。」 その考え方は違うというのは分かってくれたかな。日常生活の中にマッサージ体操を活かすのだ。」

「そうだね。」

「マッサージ体操の特徴は、何かな。」

「えーっと。全身のつながりを感じて動く。」

「そうだね。あと、重力を感じて動く。それに、『全意識』をキープする。だったよね。これが超健康・マッサージ体操の基本だよね。」

「うん。でも普段に生活の中でどうしてそれが実行できるというんだ。」

「工夫だよ。たとえば、…」

(「日常生活の中で行う超健康法(1)」へ続く。)

カムナガラ(惟神)・古神道(心の制御はむずかしくない4)

?(『カムナガラ)惟神)・古神道(心の制御はむずかしくない3』から続く)

「すこし、混乱してきた。何か特別な思想のようにも思われる。」

「赤信号、みんなで渡れば怖くないというね。みんなが狂っていれば自分も狂っていよう。そう決めるかい。そうでなければ、本来の姿になろうよ。」

「いや、やはり、本来の姿に興味ある。もういちど説明してくれる。」

<本来の心>

「あらゆるものの中に宇宙根源の神を見、神に奉仕しようとする姿勢は本来の人間の姿である。何かに奉仕しようとするならその奉仕の対象がどのように思い、どのように感じているのかを知ろうとする。これは主と客が入れ替わりそのつながりが最も強い状態になることを示している。花に水をやるものは、花がどれほどの水を欲しているが花になりきって知ろうとする。花になりきれば、花が生き生きと輝いているその心を知る。花が欲しいもの、適度な太陽の光を喜び味わい、蝶や蜂を呼び求める、その喜びを感じる。

そこには自分だけの損得の意識と言うものがなく、奉仕する相手側の心があるのみである。そしてその相手側の心を満たすためにだけ行為する。その行為は必ず満足の結果を得て、絶えず自分の心は喜びに満たされる。これがつながりの仕組みだとわかってもらえるかな。」

「ああ、なんとなく。」

<奉仕の心には、悪は生じない>

奉仕がつながりを作る最も強い仕組みである。このように日常の行為を行えば喜びしかなく、悪と言うものは生じない。悪と言う実体があるのではなく、関係として現れるものだからです。もし奉仕の行為が、ある存在にとって不都合なものであった場合にその存在が君を憎んだとしても、それはその人に生まれた悪であって、君のこころには悪は生じない。

その対象の中に神を見る。神は、宇宙をつながったものとして作られ互いに助け合い喜び合いながら暮らしていく、その行為を行えば強いつながりがさらに強くなる。これが本来の人の姿なんだ。

<自分と環境との一体感>?

このように行じていけば自分と環境とは別個のものではない。環境があるからこそ自分が存在する、すなわち自分も環境もひとつの物であるという感覚になる。自分の心と言うものが他の存在と別個なものではなく、むしろ他の存在を満足させる他の存在のための心になっているのに気づく。そして、環境に喜ばれる生き方をすることで自分の生を輝かしいものにできる。

「ああ、自分の心が、自分という存在も含めて、創造神がつくったあらゆる存在の心で満たされているということ?」

「分かってくれたようだね。ありがとう。みんながこのようにすれば、すべての存在の意思疎通がうまくいく。天国が実現するような気がするだろう。」

「全くそうだ。でも、みんながやることはないだろう。」

「そうだな。しかし、一割の人がやれば、十分天国になる。もし自分ひとりであっても、根源の存在と共にあって、自分は天国になる。」

神道