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大阪府八尾市北高安・神宮寺の花、中高安の植木

まだ3,40年前の話でしょうか。大阪府八尾市郡川のあたりの造園やさんが、まだ、植木市を催うされていて、1日で大きな売り上げが入っていました。そのときは、仕出し料理や、宴会など豪華にされていたのを覚えています。美家古もその注文をいただいていました。

最近は庭を作る家が少なくなって、植木屋さんも仕事がなくなっています。植木市もなくなったのでしょう。

神立や、神宮寺ではいまでも盛んに花が作られていますが、昔ほどの勢いはありません。仏壇や墓に花を供える家も少なくなり、1対が一束になったり、造花になったり、需要が少なくなって、売上が減っています。恩智には、北区、大阪駅の近くで花の卸売市場を経営されているところがありますが、ここはまだまだ良さそうです。

神立には、父母の行の締めくくり、知恵地蔵尊の建立に尽力してくださった森川さんの亡くなったおじいさんがおられました。このかたは、和歌山の通夜島で、ランなど南方系の花を栽培されて、大きな財を築かれました。お子息の貞央さんは、デパートに花卉を卸されて、やはり、大きな花の問屋さんをされています。美家古の仕出しもとっていただいたし、宴会もしていただきました。ありがとうございます。

通夜島から移された有姫龍神をお祀りされていましたが、知恵地蔵尊建立に際して60年ぶりの大雨が降ったのは、この龍神さんの働きだったのでしょうか。

かつて、好景気に支えられた花卉、植木などは、景気の衰退と共に、売上は減少しているようです。

現代・今とはどういう時代?

『人を見る眼・先を見る眼』(渡邊五郎著)の推薦の言葉で堺屋太一さんは、次のようにいっている。

「今、日本は規格大量生産型の工業社会から多様な智慧の尊ばれる知価社会へと、大飛躍を遂げようとしている。過去の経緯も現在の規則も当てはまらない日々が、つい目前にせまっている。変化を恐れるものは縮こまり、未来が不安なものは動こうとしない。それに対して渡邊さんは「太く豊かに生きる」ことを提唱する。いわば自ら「変化の仕掛け人」となることだ。」

変化の時代は、このときは目前に迫っていたが今はその真っ最中にある。さまざまな智慧で利益だけを追求しだしたら、利益はでなくなった。大会社は利益が出なくなれば身売りをするしかない。中小企業は倒産するしかない。どうすればいいのか。ネット販売とか、老人の健康サプリメントとかが繁盛している。新しい流れだ。合理化による生産コストの削減も限界にきている。過去の経営技術を振り返っても答えはない。

知性で変化に果敢に挑むものは資金を使い果たし、動こうとしないものはじり貧になっていく。流れに従って適切に前進するものだけが、生き延びていく。流れを感じ取っていく。この資質を高めなければならない。見えない世界が見える力。半世紀ほど前に、宗教や、呪術や、座禅の世界と商売の世界が同じであることを証明しようと活躍された禅の大家がいた。独りで70兆円もの資産を創られた中谷浄道さんだ。

しかし、その資産ができたのは、禅の力を証明をするためだったと思われる。役割でなければできないかもしれない。利益追求の社会構造から、さまざまな形で社会に奉仕する社会構造に変わろうとしているのかもしれません。

八尾市恩智で山に向かって流れる川

恩智では谷は東山の生駒山脈から、流れてきた水が恩智川に注いでいます。川は高い東側から低い西側に流れています。その水を集めて恩智川は南から北に向かいます。

普通、生駒山脈の西にあたる河内では、東は山なので、川は東から西に流れます。先日恩智の研究をしておられる辻野和夫さんに、

「恩智で西から東に流れる川があるのをご存じですか。」

と聞かれて、そんな川があるはずがないと思いました。説明を受けたのですが、先日、玉串川のほとりを歩いていたら、玉串川にある水量調整弁を操作している浅井さんに出会って、

「何をしているのですか。」

と話かけたら、

「用水路に送っている水量調整弁が詰まったので掃除をしているのですよ。この用水路が東の恩智川の下をくぐって畑中さんの自宅の西の方にいっているのですよ。」

「ああ、辻野さんから聞いたのは、この用水路のことなんだ。でも、どのあたりに続いているのだろう。」

その疑問が残っていたので、今日歩いたときに、住宅の中をたどってみました。

用水路8

まずは、玉串川の取り出し口の水量調整弁です。

用水路6

住宅の間を東に向かって流れます。まさに西から東に向かって流れています。

用水路5

南に方向転換して、道の暗渠の中を流れます。

用水路4

当然この川も東から西にながれているものと思い込んでいましたが、良く観察してみると、確かに西から東に流れています。

用水路3

神宮寺からの広い道で再び東に向かってながれて、ここで恩智川を山に向かってくぐります。

用水路2

恩智川をくぐったあとは、花畑の間を流れていきます。周辺の花畑の農家が利用しています。

用水路1

 

用水路14

ここで、柵のところの北に流れる無名の川に注いでいるのかと思ったら、この川の下をくぐりさらに東へと向かって北に曲がる農業用水路となります。

用水路12

 

ここで再び東からながれてくる小川の下をくぐります。

用水路16

下をくぐった用水路の出口です。この小さな用水路は、柵のむこうの左手山側から恩智川に向かう無名の川から引き出していると思っていました。ところが、この用水路はその向こうの用水路から流れてきていたのです。

用水路11

これが最終です。それまでは、高低差だけで水を流してきましたが、ここで初めて電気を使って水を汲み上げ、ここでは数件の農家が利用しています。この柵は数年前、転落事故死があってから市と利用農家のみなさんに集まってもらってつくってもらったものですが、当時はこの水は東山からのものだと思い込んでいました。

 

恩智川(柏原市・八尾市・東大阪市・大東市)

恩智川はどこから始まり、どこまで続くか知っていますか?私は知りませんでした。大和川から流れてきていると思っている人も多いのではないでしょうか。

いとこのお孫さんの研究発表のために、いとこの夫婦が恩智川の源流から、寝屋川に合流するところまでお孫さんを連れていきました。おじいちゃん、おばあちゃんはやさしいですね。

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ここから上は車が通れなかったのでここまでですが、この上が源流だそうです。ぶどう畑が続きます。源泉は柏原市雁多尾畑の山中でしょうか。

MX-3140FN_20150914_085435_002ヌートリア

大東市でヌートリアがいたそうです。お孫さんは知っておられたそうです。

「あっ、ヌートリアだ。」

と叫ばれたそうです。ウィキペディアによりますと、

「ヌートリアは丈夫で育てやすく、柔らかい上質な毛皮が安価に入手できるため第2次世界大戦の頃には、軍隊の防寒服用として世界各国で飼育された。日本では1939年にフランスから150頭が輸入され、飼育が奨励された。このころは軍隊の「勝利」にかけて「沼狸」(しょうり)と呼ばれ、1944年ごろには、日本全国で4万頭が飼育されていた。」

ということです。ヘェー、第2次世界大戦の頃にはそんなことがあったのですね。

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恩智あたりから下流には、シラサギがいます。以前には、合鴨の家族連れがいて、町会回覧板で写真紹介したこともあります。

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写真は八尾市の福万寺町と、東大阪市の玉串町で第2寝屋川に分流するあたりでしょうか。亀もそこらじゅうで見ることができます。鯉の写真はありませんでしたが、大きな鯉の群れを恩智あたりから下流のそこらじゅうで見ることができます。一時に比べて、市の活動や住民の協力で、恩智川の水もかなりきれいになっているのですね。

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恩智川は学研都市線の住道駅付近で、寝屋川に合流します。寝屋川はその先都島区の片町で、大川(旧淀川)に合流します。、大川は中之島で堂島川、土佐堀川にわかれ、中央卸売市場の手前で合流して、安治川へと続き、弁天町で大阪湾に入ります。

恩智のもう1本の川、玉串川も東大阪市玉串町で第2寝屋川に合流し、第2寝屋川は都島区の片町で、寝屋川とともに大川(旧淀川)に合流します。二俣で玉串川と分流した長瀬川は近鉄長瀬駅の近くで近鉄線を横切って、学研都市線放出駅あたりで第2寝屋川と合流します。

水呑(みずのみ)地蔵尊と空海

水呑山縁起2

大阪・玉造から奈良・竜田につづく十三街道は、大阪側は急で奈良県側はゆるやかな勾配になっていて、1200年以上前に空海(弘法大師)が大和に行く途中で、十三峠の手前で疲れて休んでいたところ、旅人達がのどを乾かしていました。

そこで、空海がお経を唱えながら旅人たちとともに杖で崖の下を掘ると、冷たい水が湧きだし、水呑場(水飲み場)となり、いつのまにか地蔵菩薩が置かれていました。その後、通りかかった僧の壱演が庵をたてて、村人にお経を教えたら、村人は、村の神立辻地蔵から、水呑地蔵までをお経を唱えながら水呑参りをするようになりました。

神立辻地蔵

この間には、村人たちなど水呑詣りをする人たちによって、66体の地蔵の石仏がおかれています。熱い心が伝わってきます。

ペア地蔵2 ペア地蔵5

 

私に名付けられた「邦弘」という名は弘法大師の「弘」をいただいています。名前の漢字を説明するときに、いつも「弘法大師」の名前が登場します。ご縁を感じます。

大阪府八尾市恩智を横切る東高野街道

恩智を横切る生駒山脈にそった道、東高野街道は、外環状線ができるまでは、恩智の最も交通量の多い道でした。お店もこの道沿いにたくさんありました。

富田林を通って、高野山に続いていて、そのせいか、富田林は今より身近な場所に感じていました。(私も東京で大学生として暮らしていた時は、親のはからいで、富田林出身の衆議院議員古川丈吉さんの国会議員会館の事務所に出入りしていました。)

その東高野街道の起点が京都であったとは、今知りました。それで京道と呼んでいたのですね。道そのものは、縄文時代にはすでに存在していたようです。その頃、いまの河内平野は海の底で、この道は河内湾に沿った海岸沿いの道だったようです。道の近くに船着き場の史蹟があったと聞いています。いま、恩智神社の敷地にある舟戸の大神は、打者中の島であった天王の森にあったものではないでしょうか。

東高野街道は石清水八幡宮から河内長野までの街道で、平安初期の真言密教の開祖空海が京と高野山に本拠を置いて以来、民間の大師信仰、高野聖の活動と相まって、多くの信仰者の往来ができて、この道にこの名がついたのでしょう。京都の東寺は、弘仁14年(823)に空海に下賜されて、真言宗の根本道場となったようです。

高野山開創1200年記念大法会が、先日平成27年4月2日から5月21日の50日間に行われ、地元の人たちも大勢、高野山や、お四国参りに出かけられました。

長瀬川は花見の人でにぎわっていました。

花栄さんのストレッチ・ヨガ近鉄久宝寺口教室にいきました。前の長瀬川の両側の道は花見の人でにぎわっていました。弁当を広げてお酒を飲んでいるグループもあります。(なるべく人が映らないように撮影しました。)

ヨガ教室は便所を借りに来るご婦人もあるというハプニングがありましたが、いつものように、体が軽くなり、数日の連続した仕事の忙しさの疲れも消えました。

体を知り尽くした先生の指導は、ムリすることなく、いつも効果抜群の成果があります。帰宅後の仕事もはかどりました。ありがとうございます。

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現代の河内はこんなに平和です。これからどんな風に変わっていくのでしょう。

玉串川沿い歩道が完成していました。

1週間ぶりに15分ウォーキングをしたら、近鉄恩智から、国鉄志紀に向かう玉串川沿いの歩道工事が完成していました。山本、高安あたりと違って、桜の木は若く、花見コースにはなりませんが、川には、40~50cmくらいの大きな鯉がたくさん泳いでいます。IMG_20150330_140447

桜祭りの準備が進んでいます。

恩智青年団主催の桜祭りは4月3日(土)4月4日(日)、恩智城址(通称さくら公園)で行われます。八尾市で最大規模の桜祭りです。芸能人も来ます。

早咲きの種類の桜が満開手前です。

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舞台が少しできています。

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恩智城址で開催されるのですが、南高安小学校は昔ここにあったのですね。

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提灯も準備され始めました。

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近鉄大阪線恩智駅から徒歩15分くらいです。当店{日本料理美家古」の前をひたすら東、山の方に向かって歩きます。右側の大東邸の手間を右に入ったところです。

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各町会の掲示板にポスターが貼られています。

桜祭りポスター