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大阪府八尾市恩智、忍者が教える賢い生き方

『忍者を科学する』(中島篤巳著)に、素晴らしい知恵が書かれていました。紹介します。

「忍者は政権支配下の社会から少し距離を置き、自分たちの社会を優先して生きていました。現在は世界の一部で起きたことが、私たちの生活に大きな影響を与えます。その揺れはただちに弱者の生活を脅かし、変動時に派生する大きなチャンスは、ほんの一握りの強者が独占します。

世界的な傾向として、国民の1~2%の資本が政治を操作し、軍隊や警察を手足とし、さらに司法・立法・行政に続く第4の権力者を自称するマスコミを上手に利用しながら国民を監視し、統制し、永遠に収奪をし続けます。時には命まで取り上げる。これは善良な人ほど被害者になりやすいです。

忍者は生活の半分以上が一般社会から自立していたと考えてください。忍者の強さはここにあります。混沌とした社会情勢では、自分の足で立つことが非常に重要です。第2次世界大戦で敗戦し、国家が消滅した時に、自分の足で立っていた農村は敗戦の影響が小さくてすみ、飢えた国民の腹を満たしました。」

以前、歴史のブログのために、戦中、戦後の恩智の様子を地元の人に教えていただきましたが、まさに恩智は中島さんが書かれているその姿でした。やはり、恩智には、南北朝、戦国時代前後の上忍者の血が流れているのですね。

大阪府八尾市恩智(恩地)は超上忍者の里

<「つながり体操」による出会い>

「つながり体操」の効果として、目に見えないつながり力が強化されて、絶妙の出会いが増えてきます。今回は、このタイミングで、『忍者の教科書』(伊賀忍者研究会編)に出会いました。わずか48ページの本ですが、『新萬川集海」という副題をつけているように、忍者の世界をわかりやすくまとめていました。いまの人がすんなり理解できます。

<忍者の主な仕事は情報の収集>

忍者の主な仕事は情報の収集でしたが、それは命がけの危険な仕事でした。忍者であることは絶対に人に知れてはなりません。伊賀や甲賀は山間の隠れ里でその点では、恵まれていました。

しかし、楠木正成と恩地左近の深い絆から、恩地やその周辺にもこの忍者たちが住み着いていたと思われます。赤坂城の戦いで使われたにわとりを持ち帰って恩地に住んでいた武士、赤坂城の戦いのときに楠木正成が死んでしまったと泣き降らして敵を欺いた者の末裔が最近まで恩智に住んでいたこと、古代に機織りの技術を伝えた渡来人「はたおりべ」の先祖を持つ伊賀の服部半蔵と同じ服部の姓が隣の垣内地区にあること、猿楽の元締めが恩智にあったことなど、忍者色が強くただよっています。

<忍者であることを完璧に隠した恩地の忍者>

しかし、忍者がいたという話は全く残っていません。これは伊賀よりさらに忍者色を消した、上級忍者の住んでいた可能性を示すものではないでしょうか。そういう意味で恩地の忍者は超上級の忍者だったと思われます。

<縄文の神の上?でこの本を読みました「カムナガラ」>

縄文時代は大きな岩を神として扱いました。それは人に元気を与える大きなエネルギーを持っていることを感じていたからだと思います。いまそれに気づいたのが岩盤浴ではないでしょうか。私は大きな岩(神?)に敷物を敷いて30分ほど本を読みました。私はこの習慣を「カムナガラ」の一つにしています。元気が回復しました。