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八幡宮・比叡山延暦寺・高野山金剛峰寺

『神々の冒険』(梅原猛著)で八幡宮のことが書かれています。ざっと紹介します。

奈良時代の末期になると、また新しい神が登場する。それは八幡神である。宇佐八幡宮はあの三韓出兵に関係する応神天皇を祀るとされてきた。しかし、地方の神にすぎず、中央では全く無名であったが、それが突然に東大寺建設のときに登場するのである。国下第一の大きい寺は藤原氏の興福寺である。それより大きい天皇家の氏寺・東大寺を建てるのは藤原氏には願わしくなかった。

おそらくこのような大寺を立てるには、神々の承認を得ることが必要であろうが、藤原氏の祖先神である春日大社と仲の良い伊勢の大神は賛成しようとしなかったであろう。この時、藤原氏が藤原広嗣の乱という不祥事を起こす。このとき宇佐八幡宮は功名を立て、一品の神階を授けられた。これで、八幡宮は伊勢神宮と同じ国下第一の神の扱いを受けた。このとき、法隆寺の夢殿を作ったとされる僧行信(行基の弟子)が暗躍する。この結果東大寺の東、法華堂の南に手向山八幡宮があって、宇佐の八幡宮が祀られて、神仏の合体が行われた。

この八幡宮と東大寺の関係によって寺の中に公然と神社がつくられ、神仏はたいへん親しい関係になる。最澄のつくった比叡山延暦寺を根拠地とする天台宗、空海の作った高野山金剛峰寺を根拠地とする真言宗は、このような八幡神によってレールが敷かれた神仏の新しい関係のうえに立つ仏教なのである。

物部氏と蘇我氏の宗教戦争を起こした神仏がどうして、一緒に祀られているのか、これでなぞが解けました。小さな規模の社会では自然との関係が重要ですが、国家のように大きな社会には、キリスト教や、仏教のように人々に倫理を教える経典が必要になります。祈祷だけの神社と経典のある仏教が習合することで、律令国家としての日本が確立するのですね。明治に神仏分離が行われるまで、見えない存在に対する神道の祈りと、仏教による倫理で世界に羨望される国民つくりをすることができたのですね。

その後、八幡宮は弓矢八幡として、清和源氏をはじめ全国の武士に氏神として祀られました。こうして、その後の武家社会を支えるのですね。

河内源氏・羽曳野市壺井

私が小さいころは五条大橋で弁慶と牛若丸(源義経)が戦う話を絵本で読んだ記憶があります。大きくなって壇ノ浦で平氏を滅ぼします。いまはそのような絵本は見かけません。いずれにしても京都の話だと思っていました。

牛若丸は源頼朝の弟です。頼朝は河内源氏源義朝の三男です。

私の定休日は水曜日なのですが、会社に定休日がなく、いつものように午前中は仕事をして、夕方までの時間をブログ取材にとっていましたが、先方の都合がつかず、空き時間となりました。

前から同級生で歴史に詳しい大畑君に近くの史跡につれていってくれるようにお願いしていたので、2時間で行って帰ってこれるところということで案内してもらいました。それが河内源氏で羽曳野市壺井にありました。近鉄国分駅の西側を通り、駒ヶ谷の駅を超えて石川で左折して石川沿いを太子の交差点に向かって走りました。大師方面の仕出し料理の配達で美家古が絶えず走る道です。その途中の左に壺井八幡宮がありました。

鎌倉幕府の創始者源頼朝は、八幡太郎源義家の4代の孫です。室町将軍足利氏、さらに徳川将軍家も義家の流れだそうです。この義家公の祖父頼信公が壺井に館を構えたのが1020年で、河内源氏の祖となったそうです。この流れが鎌倉時代から江戸時代の武家政治を支えてきたのですね。

楠木壺井八幡宮壺井八幡宮

境内には樹齢1000年と書かれた楠木がありました。社に手を合わせたら、熱いものが答えてくれました。