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大字恩智・立原池・防災

自由時間2時間が出来たので、前から行きたいと思っていた立原池に行くことにしました。地図で場所を確認して、だいたいの位置が分かっているので一人で行こうとしましたが、同級生の大畑君とよく知っているHさんと3人で行く約束をしていたので、大畑君に電話しました。

台風だといえば、水利委員長が八尾市からの電話でこの池を見にいっていたので私も一度見ておこうと思っていたのですが、大畑君も防災の重要地点として確認しておきたかったようです。

運動のためにときどき歩く山道の中信貴道から数百メートルの場所なので、そのコースで行くことにしました。大畑君は国土地理院の等高線が入った地図を持ってきてくれました。

柏原市の斎場のすぐ近くというわかりやすい場所なのですが、関電道路から入る道が草木で覆われた山道なので地図と何度も確認しながら道を選びました。

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すぐに立原池は見つかりましたが、これは農業中心の地域だった時代には恩智の大切な溜池だったのですね。帰りの道は立原道を下るか、もとの中信貴街道に戻るかの選択をすることになりました。大畑君は、探検家のブログに立原道は谷の中を歩く険しい道だと書いてあったといいます。中信貴道を上る時に、役行者や、空海の山の修行の話をしていたので、その厳しい道を選びました。

谷の横に道らしきものがありましたが、そこで谷底まで滑り落ちると大けがをするので谷底を歩くことにしました。

「修験者たちは、岩や木と通じ合いながら行動するんだ」と、細心の注意を払うことを促しながら、ぐらつく石の上を渡っていきました。子どものときはこんな道を何とも思わないで走り回っていたのですが、足腰が思うように動かなくなってきている二人ですから、慎重に行動しました。危険を感じながらの行動は気を十分に木や岩に通しながら進んで、修験者を体験しました。

恩智神社の一の橋谷に繋がるこの谷には2か所砂防ダムがありますが、以前に見たときはいずれも土砂で埋まっていましたが、今回は土砂は除去されていました。大畑君は安堵したようです。

 

東大阪市六万寺・地蔵谷川水車

『郷土史六萬寺』より紹介します。

「日本の水車は早くから灌漑用以外に、精殻そのほかの動力として使用されてきた。また、近世以前から精米・製粉・揚水など、農業や時給的なものに使われてきた。生駒山西麓の水車を工業に利用するようになったのは、近世にはいってからである。

生駒山西麓の旧枚岡地域には、東谷、日下谷(南・北)、辻子谷、額田谷、豊浦谷、客坊谷、鳴川谷(地蔵谷)の7谷があり、各谷ごとに水車があった。水車は近世中期以降に設置されたものと思われるが、額田谷の水車に関しては、1739年の記録資料があるといわれている。」

この本では、六万寺村と四条村の水車設置のトラブルが紹介されています。水車の設置を申請したら、土地問題まで発展して示談にいたるまでの経過が紹介されています。水車の設置は水の問題が絡んでいるいるし、税金もかかり、設置には奉行の許可が必要だったようです。増税も行われて稼ぎが引き合わないと陳情もしたようです。