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八尾の歴史

千塚にある八尾市立歴史民俗資料館に行ってきました。いただいたパンフに八尾の歴史が紹介されていました。そこには以下のような概略が書かれていました。

今から5500年ほど前の縄文時代、平野部はほとんどが海底であったので、人々は山麓部に住んでいました。その後、大和川の祖先である無数の河川から土砂が運ばれ、大阪湾が徐々に埋め立てられて、弥生時代にはいくつもの集落がつくられました。古墳時代になると、平野部や高安山で古墳がつくられました。4~5世紀の楽音寺・大竹古墳群、6~7世紀の高安古墳群は、その規模や数からも大阪府下を代表する古墳群です。(俊徳丸の話で古墳を紹介させていただきました。千塚や心合寺古墳はまだです。)

587年には、八尾付近を本拠とする物部氏と、聖徳太子・蘇我氏との戦いがあり、物部氏が滅ぼされました。(以前のブログで紹介させていただきました。)

765年には、八尾市弓削出身の僧道鏡が、称徳天皇の寵愛を受け、八尾に弓削行宮(西の京)を合叡しました。(先日のブログで紹介させていただきました。)

中世から近世にかけて復興された寺院がたくさんあります。(教興寺にある教興寺を紹介しました。)八尾には、寺内町があります。

また、八尾は河内木綿が全国的に有名です。大和川の付替え工事が新田をつくることになり、この綿つくりが一気に広まりました。(これも紹介させていただきました。)

近代の八尾の発展の基礎となったのは、鉄道敷設です。明治22年に大阪鉄道株式会社によって湊町ー柏原間の敷設工事が完成し、安中新田に八尾停車場がつくられました。(このとき、衆議院議員乾亀松が八尾駅と恩智を結ぶ恩智道をつけたことを紹介させていただきました。)この付近に近代工場が次々とつくられました。いまは、その工場が少なくなり、住宅地に変わっていっています。

こうしてみると、八尾の特徴的な歴史で、まだ全く紹介させていただいていないのは、寺内町の話ですね。

 

天変地変・仏教・天皇家・道鏡

金剛山の麓に葛城地方があり、ここでははるか縄文の時代からこの地に住まう葛城の山の神は、神託を下して人々を導き、天変地異の災厄をやわらげた。そんな神事を担ってきたのが賀茂一族でした。天皇家もこうした古神道の神事を政治に利用してきました。しかし、538年、仏教伝来とともに、その役目は仏教がとってかわろうとします。神道には教えがなく、経典に基ずく仏教の教えや仏教呪術のほうが統治には勝っていると感じられたのでしょう。

聖武天皇の頃、天変地異が相次いで起こり、天然痘、飢饉で大勢の人が死んでいきました。聖武天皇はそれを自分の責任と感じ、仏教に帰依することで民を守ろうとされました。聖徳太子のときには、一方的に仏教を導入することで、神道が弱まりましたが、この時代には聖武天皇が建てられた東大寺にも八幡宮が祀られるなど、神仏習合へという動きになっていきました。

聖武天皇から仏教を興隆するように託されて天皇の位についた孝謙天皇は、どのように仏教を興隆するのか、そして女帝ゆえに跡継ぎの子供がいないため次の天皇を誰にするのかという大きな課題をかかえていたのです。

昔から、天皇家は豪族の助けを得ながら、その豪族が天皇家を脅かさないよう配慮してきました。この時代は藤原家が天皇家を支えていました。

孝謙天皇が病気になられ、淳仁天皇に譲られたときに、道鏡が女帝の病気を治したことから、女帝の寵愛を受け、道鏡が藤原家の地位を脅かすことになります。これを危惧した藤原仲磨と淳仁天皇が兵を挙げようとしたために一掃されます。上皇は再び天皇(称徳)となります。

この結果、反対勢力がなくなった道鏡を法王という最高の位につけたとき、八幡宮神託事件が起きます。「道鏡を天皇にすれば、国は治まる。」というのです。聖武天皇からの2つの課題は一度に解決するように見えますが、天皇家の血統でないものが天皇になるなど許されることではありません。神託の真偽を明らかにするために、宇佐八幡宮に和気清麻呂をつかわしますが、こんどは「道鏡を排しなさい」という神託を持ち帰ります。これにも不審をもった称徳は清麻呂を問いただして嘘であることを確認します。

道鏡は次期天皇にしないと決めますが、仏教興隆のために、新年の拝謁式では道鏡を同格の席に並べて、河内の由義宮を西京として仏教の都をつくろうとします。769年10月30日、都をつくるための役所、河内職(しき)を置きます。しかし、翌年、8月4日天皇は亡くなられてうしろだてを失った道鏡は下野の国薬師寺別当として追放され、西京建設も中断してしまいます。

道鏡がこれほどの寵愛を受け、仏教の最高位を与えられたのは、俗世がうわさするような低次元の理由ではありません。当時、第一級の霊山、葛城山で賀茂一族の役小角(えんのおづぬ)系の修行を行って優れた呪力を身に着けていた。しかも、梵字も読むことができてあらゆる仏教典にも通じる稀なる僧侶であったからです。あまりにも偉大であったから、この人物を社会から消滅させるためには、ここまで落とす必要があったのでしょう。

以上、、『第13回恩智のむかし(称徳女帝と道鏡 その1)』『第14回恩智のむかし(称徳女帝と道鏡 その2)』(辻野和夫講師)、および、『密教の本』(増田秀光編集)など参考にして、わたしの偏見でまとめさせていただきました。