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八尾市恩智・安養寺・弘法大師

安養寺の本堂には阿弥陀仏が安置されていますが、本堂の前には、弘法大師の大きな像があります。毎月21日はお大師さんの日で、大勢の参拝があります。弘法大師が活躍された頃から1200年ほども経つのに大変な人気です。

お大師さん(空海)が悟られた密教の教えとはいったいどのようなものなのでしょうか。それまでの正統派奈良仏教は、教学が中心で膨大な仏教典を読み、覚えるのに追われて、人の現実の生活に大きな影響を及ぼす、病気や、天候に影響を与える力に欠けていたといえます。雑密(空海が取り入れるまでに部分的にはいってきた密教のこと)の孔雀明王経を用いて、孝謙上皇の病気を治したり、飢饉を改善したりして弓削の道鏡は一躍注目を浴び天皇に次ぐ最高位まで得ることができました。世の中は実効性のある宗教を求めていたといってよいでしょう。

空海は修験道を通じて雑密に触れる間に、その頃インドから中国に伝わっていた「大日経」に関心を持ち、遣唐使に加わって、密教を理解し、日本に持ち帰りました。「大日如来とは宇宙そのものであり、その被造物にあまねく存在する根源の神です。人間が大日如来の応身としての諸仏、諸菩薩と交感するとき、かれらのもつ力を借用できると説きます。しかも、欲望の束縛から脱することで成仏するという教えではなく、欲望を持った人間という存在そのものも菩薩であり、本来の輝きをもって現実世界を生きる姿を尊びます。諸仏、諸菩薩との交感により、その力を借用できると説きます。身口意の三業をきわめて、宇宙とのかかわりを強めます。大日如来を思う強い心と、真言と印を結ぶという所作が求められます。

宇宙の元である大日如来に通じるが故に、霊験あらたかです。つらい現実をあきらめ、来世に望をかけるしかなかった人々は、この世を楽しく生きるすべを得ることになります。

ただ、この行は体験するしかなく、言葉で教え受け取れるというものではない。空海なきあと、同じレベルの人は現れませんでした。しかし、空海を慕って空海に守られながらこの行を行おう(同行二人)とする人々は1200年という年月を超えて続いています。安養寺に集る人々もそういう人でしょうね。

 

八尾市恩智・安養寺・修験者

安養寺は、八尾市恩智の向谷(今の地名は恩智中町4丁目)にあります。境内は近隣の他の寺院に比べればかなり広く、本堂以外に、広い裏の山腹に、不動明王堂、大師堂、毘沙門堂など多数の施設があります。

『生駒の神々』(宗教社会学の会編)によると、

「この寺院の運営は、僧職ではなく世話人の合議制に基づく。そして世話人の中には、当寺院の属する宗派とはかかわりのない、つまり多宗派の檀家役員がいたりする。このような、宗派にしばられないあり方、利点を生かし、信者の多くも、この種の気さくさ、おおらかさを求めてここを訪れている様子がうかがえる。」

と紹介しています。

お大師さんに惹かれてお参りする人が中心のように見受けられました。修験の行者たちが護摩をたくなど、生駒甘南備山の霊地であらたかな霊験を求めたり、霊感を求めて密教の教える宇宙と自分の世界を悟ろうとする人々が訪れるようです。

赤飯の昼食をいただいたときに同席した3人のご婦人とお話しさせていただいたら、八尾や、久宝寺、法善寺から来られたかたで、浄土真宗東本願寺派、西本願寺派、真言宗などさまざまでした。

世話役のかたは、地元の人や親戚の人が中心で、顔見知りの方が多く、護摩木の世話をしたり、赤飯のかかりをしたり、案内したりされていました。

なんといっても、安養寺大祭運営の主役は修験道の行者さんでしょう。本山修験集聖護院門跡神変講社近畿連合会会長山本武次さんに、後日、修験道の詳しい説明を聞かせていただくことになりました。顔みしりの方ですが、このような人が恩智に住んでいるとは。70代後半だというのに、10歳近い年下の私より元気です。安養寺の住職のお父さんも毎日大峰山にのぼる行者であったと親から聞いています。恩智というのは不思議な土地ですね。