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大和川の付替え・三郎兵衛の霊魂

大和川の付替えに関して、『伝説の河内』(松本壮吉著)の話を思い出しました。

今米村の庄屋・川中九兵衛の知友、乙川三郎兵衛は、川の付替えの調印を求めて歩いたが、反対するものがあった。あせった三郎兵衛は、反対するものの偽判をつくって江戸幕府に差し出した。このことはたちまち露見してしまった。

事成就しないうちに罪に問われることは残念だ、死んで思いを達成しようと狭山池へ身を投げて死んでしまった。三郎兵衛の霊魂は大蛇に化けて、ある大雨の日、狭山池から這い出して這い回ったあとが川のかたちになった。村人たちは、三郎兵衛の執念を恐れて、改めて大和川付け替えの嘆願をしたら、九兵衛の弟の甚兵衛に工事を許可された。その後、あれだけの大工事が1年もかからずに完成したとのこと。

こんな話、今の人が聞いたら、誰も信じないかもしれませんが、私は完成のうらに乙川三郎兵衛の強い働きを感じるのです。

 

中甚兵衛と大和川付け替え工事

私が河内の歴史のことをブログで紹介していると知った東大阪市の知人が、中甚兵衛の本を届けてくださいました。『郷土偉人伝シリーズ1中甚兵衛物語』(智多とも著)です。漫画本ですが、最後の方のページの言葉を紹介します。

「宝永元年(1704)新大和川が完成する。甚兵衛(じんべい)が付け替え運動をはじめて50年もの月日が流れていた。この光景を亡き友や兄と見られなかったことをどれだけ悔やんだであろう。

洪水に苦しめられてきた村の人々にとって新しい大和川の完成はこの上ない喜びの日であった。しかし、その一方で新しい川を掘るために川の底になってしまった土地の持ち主の悔しさ。新大和川でも大雨の際に幾度か洪水の被害があり、甚兵衛自身も手放しで喜べなかったのではないだろうか。ただ、それでも新大和川のために川底に沈んだ田畑はおよそ257ヘクタール。新しくできた田畑はおよそ5倍である1063ヘクタール。

田畑が増えた分作物の収穫量も増え、幕府に差し出す年貢も増えた。後に綿花も栽培され、河内木綿として特産品となり、大坂の経済を大いに活性化させることになる。

一方、甚平は新大和川完成後に出家し、仏門に入った。『乗久』と名乗って残りの人生を過ごし、92歳でこの世を去る。

『付替え以来どうしても考えてしまうんや…私のしたことは正しかったんやろか…と。』

『あほやなぁ甚兵衛。そんなん未来の人間に聞かなわからんやろ。』

『フッ。それもそやけど』」

このブログを書くことになって最初、大庄屋の家系の坂野さんに聞きにいったときに、

「河内の歴史を語るにはまず大和川の付替え工事を知らなければならない。」

といわれたことを思い出しました。「未来の人間」である私に聞かれてもその恩恵の深さを68歳まで知らなかったのです。

甚兵衛さんごめんなさい。そしてありがとうございました。ほんとうはあなたのために「河内神社」を建立しなければならないほどの河内地域の素晴らしい先祖様です。