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法華経12(智・慈・行)

私は法華経の真髄は「知」・「慈」・「行」の教えだと思いますが、これらは、「仏」と深くつながってこそ価値あるものです。

だから、「智」は、単なる知識や、悪智慧などではありません。強くつながった「仏」からいただくものです。それらは人のスケールをはるかに超えた深遠広大なものです。

「慈」については、私は若いころ、聖書の「愛」に惹かれましたが、「仏」の「愛」は、男女の「愛」のように、憎しみに変わる可能性のあるような「愛」ではなく、おもいやりの「愛」です。宇宙を創造した「大生命」である「仏」が、その被造物(宇宙のあらゆる存在)である私たちに持つ感情です。

「行」については、すぐ修行を思ってしまいますが、自分を鍛えたり、いじめたりすることではありません。「仏」と深くつながって行う「行」というのは、いいかえれば「仏」に対する「奉仕」です。苦しみながら行うものではなく、喜びの中で行なうものです。人は、会社に奉仕したり、社会に奉仕したり、家族に奉仕して喜びを味わうのは、奉仕する存在としてつくられたからです。

本来は「仏」に対する「奉仕」のためにつくられたのですが、その能力が会社に向けられ、社会の向けられ、家族にむけられてもそれらは全て「仏」の被造物だから喜びが感じられるのです。

しかし、最高の歓びはやはり、「仏」に対する直接のつながりの奉仕で、それが社会であったり、個人であったりすることが最高の喜びに感じられます。自分の役割がしっかり確信できるから、おせっかいにはなりません。

 

法華経11(量子世界と法華経・心2)

(前回から続く)

原子までの物理法則に親しんできた私たちもいま、宇宙全体に関心を寄せ、宇宙に関した名前を生まれてきた赤ちゃんにつける人たちが増えてきました。全体を意識する時代に変わろうとしているのですね。一方、量子世界に関心を持つというのも、目に見える限られた物質世界から、物質になる元の世界まで意識が拡がり出したということですね。

量子には物質がなく、状態だけがあります。心もそうです。心は量子と同じく、他に影響を与えるのに物質と違って、距離は関係ありません。心で念じたことは遠近に関係なく届くのです。心は量子だと考えてもいいのではないでしょうか。

大乗仏教の教えは知識としてではなく、「状態」として衆生の心(「状態」)に働きかけるので、総合的(「状態」として)に衆生に伝わります。いいかえれば、「仏」という宇宙の元の意識(私は「全意識」と呼んでいます)につながることができるのです。

ごめんなさい。いきなりこんな話は難しかったかもしれません。いずれ、「心」の話、わかりやすく説明させていただきます。

なにもかも繋がっている・量子力学