月別アーカイブ: 2017年10月

超健康法(20)「奉仕」のマッサージ体操

「このマッサージ体操は、心地いいものを味わうのだが、それだけではない。一か所を意識するのではなく、同時に全体を意識することが大切なんだ。つながりの意識が必要だ。心地よさを自分のためにだけ味わうのではなく、貸し与えられた体に『奉仕』させていただいている。それが気持ちいいということを味わい、確認しているという本来の意識で行うことが基本姿勢なんだ。」

「え、もういちど説明してくれる。心地よさを味わってはいけない?」

「いや、味わうのだけど、意識をそこだけに集中してはいけないのだ。自分の意識で『奉仕』するのではなく、自然神に意識を明け渡して、指示を受け取りながら行動するという意味だ。自分ではどうメンテナンスしていいのか分からないのに、お粗末な自分の知識に意識を繋ぐなという意味だ。ありがたいことに、朝の目覚め直後というのは、意識がかなり深いところに落ちている。へいぜいの表層意識ではないのでやりやすいのだ。」

「自然神に意識を明け渡して、指示を受け取りながら行動する」って?

「やっているうちに、自然神から教えてもらえるということが分かるようになるよ。」

「うーむ。まあ、やってみよう。」

「といっても、基礎的な知識がなければ何をするのかも検討がつかないので、これから基礎知識を教えよう。まずは、体のすべての関節や筋肉がマッサージの対象になる。そして、それらが、つながりを意識して行われる。体の内部の繋がりももちろんだが、重力を感じながら宇宙との繋がりも体感する。呼吸も全身呼吸だ。手が触れているところでも呼吸している意識・感覚がある。」

「肺で呼吸するなら分かるけれど、関節や筋肉で呼吸するというと?」

「肺で酸素を吸う呼吸に合わせて環境のエネルギーが必要なところに取り込まれていくという意識・感覚だ。慣れてくればそれを感じることができるようになる。」

「で、どんなポーズをとるのだ。」

「どんなポーズでもいい。したいようにするのが原則だ。しかし、体に気持ちいい方法でなければならない。痛みなどあってはならない。人ができることでも、自分ができなければしたくてもしてはならない。いつかできるようになる。大部分が片膝立ての重力を利用した半回転となるだろう。いままでやってきたマッサージ体操の中からやりやすいもの、やりたくなるものをやればいい。自分にふさわしいバリエーションは自然とできてくるものだ。

もうひとつ重要なことがある。これから寒くなるので暖房をする必要があるが、下着の上からではなく、直接肌と肌のマッサージも必要だ。肌にふれることが、もっとも深奥なるところに伝わるという不思議な人体の働きがある。実際に私は鍼灸師の針が皮膚にふれたとたん、全身とそのオーラが見えて体全体が緩んだ体験がある。もちろんすべてが直接肌にふれなければいけないということではない。」

「へえー、そんなことがあるんだ。」

「それから『奉仕』というものの性質なのだが、指圧治療を行ったり、受けるのとは違って、関節や筋肉の方を動かして手のほうは脱力し、やさしく受け止めながら情報を受けて十分な余力を持った応対をする姿勢が基本となる。体の方を動かし、脱力した手や二の腕が関節や筋肉にまとわりつく、寄り添うというイメージだ。」

「指圧をしてはいけないのか。」

「この『奉仕』のマッサージ体操では、指圧治療のイメージから離れることが大切だ。指が微妙な感覚を受け取るほうが大事で、それに対して筋肉に触れた指が、わずかではあるが正確な対応がなされるのを感じるだろう。」

「十分には理解できていないが、とにかくやってみるよ。」

「やらなければわからないことだから、それでいい。」

 

 

超健康法(19)「奉仕」のマッサージ体操

「マッサージ体操を教えてもらって、2か月近くになるが、非常に体が軽くなってきた。朝は自然に30分早く目覚めてマッサージ体操がしたくなる。だけど、君のしているマッサージ体操はこれの10倍くらい効果が高いんだって?」

「さらに本格的にやりたくなった?」

「どうせなら、やってみたいね。」

「ようし。それじゃ、やってみよう。それには、意識を変えて元を知ることが必要だ。ふだん、考えることがないことだけに理解が難しい。」

「難しいのか?」

「いや、難しくない。」

「どっちなんだ。」

「宇宙は誰がつくった?」

「突然に何だ。自然にできたのだろう。それが自然に進化した。ダーウィンの進化論がそういっている。」

「じゃあ、聖書では?」

「神が創ったことになっている。」

「どちらが信じられる?」

「わからない。」

「じゃあ、とりあえず自然という神がつくったと考えてくれ。そして自然という神が進化させたと考えてくれるかな。」

「とりあえず、そうしよう。」

「その自然神のさまざまなの被造物のなかで、『人』にはどのような期待を持って作ったのだろう。」

「頂点の存在だから、全ての存在のめんどうをみるため?」

「いきなりするどい答えを出すね。しかし、それは『人』に与えられた能力を知ればわかってくる。すべての存在のめんどうがみれるのは、創造神である自然神だけだ。『人』は自分に与えられた役割を果たすことしかできない。その役割を果たすことが『奉仕』だ。自分は頂点ではなく、あくまで創造神である自然神が頂点だが、『人』は神に似せてつくられたというだけあって、自然の存在の中でもぬきんでた存在だ。その『人』は、人体という超高級体を与えられているが、『人』は、その操縦方法すら十分に把握できていない。」

「確かに。すぐれた医者でも治せない病気がある。自分だけでなく、全人類の中の最高の『人』でも『人』を完全な管理などできない。」

「自分の持つ能力すら把握できていないよね。だから、今の体が自分の能力のすべてだと信じて疑わない。」

「でも、最近は健康のために何かをしなければといろいろ努力しているよ。」

「素晴らしい。自然神に対する一番の『奉仕』は自分自身のメンテナンスだ。これを体験しながら、『人』はさまざまな『奉仕』の在り方を学んでいく。そういう仕組みになっている。創造神というのは実に行き届いている。」

「それと、君の行っているマッサージ体操と関係があるのか?」

「そうだ。現代生活のストレスによって、緊張で歪んでしまった体を元の状態に戻さなければならない。この『奉仕』から始めなければならない。まず、体は自分ではなく、神から貸与えられたものであるという意識から始まる。そして、いまと全く違う素晴らしい状態が本来の状態だという認識のもとに体と向かいあい、『奉仕』する姿勢を持とう。」

「そうだったのか。でも、それなら、自分の体を酷使して、他に奉仕するのは間違っているというのか。」

「僕はずっと自分の体を酷使してきた。体が自分だと思っていた。そしていつも体調の悪くなった自分が基準だった。しかし、体調が良くなるにつけ、その間違いに気付いた。そして、『奉仕』というのが、自分の体に対するものであれ、環境に対するものであれ、頭で考えて行う性質のものではないということがわかった。自然神とつながった上で、そこから与えられた『奉仕』こそが本来の『奉仕』なのだと。だから、本来のマッサージ体操も頭で理解する性質のものではない。」

「いきなり、意識を変えるのは確かに難しいことだけど、やっているうちにできそうな気がする。がんばるよ。わくわくしてきたな。」

 

 

超健康法(18)「穢れ」をなくすマッサージ体操(椅子・前屈)

「こんどは、椅子に座ってもらおうかな。」

「深く?浅く?」

「うん、浅くていい。」

「脚を広げる。つま先は外に向ける。」

「OK。]

「それで、ゆっくり前屈しながら、脚を腰からつま先までマッサージする。いつもいうように、手だけでするのでなく、体の動きを使うんだよ。外側、全面、内側とそれぞれ2~3回ずつだよ。。」

「OK。]

「それでは、もういちどまっすぐになって両手で腎臓の後ろをマッサージする。次に上体はまっすぐのまま、腰から前へ倒して最後に頭を下げる。そのまま、しばらく腰回りの変化を味わう。数回繰り返す。」

椅子・前屈

「うん。立ってする前屈と違って、なんかしっくりと感じるものがあるね。」

 

 

 

超健康法(17)「穢れ」をなくすマッサージ体操(マット腰5)

「それじゃ、腰の整理体操のようなものをもうひとつやって腰のマッサージ体操を終わろう。両膝(ひざ)をたててくれる。」

「OK。」

「踵(かかと)で支えて、腰をあげよう。両手は、後頭部を支えよう。」

「このくらいでいいかな。」

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「無理のない程度でいいよ。ゆっくりと、全身を使って腰を立体的に回そう。上から左、下、右、再び上というように。腰があがらなければ少し床から持ち上げる程度でもいい。その場合は平面で縁を書くように回す。」

マット腰上げ2

「何回位?」

「スムーズに回ったら2~3回でいい。反対側もまわしておく。」

 

超健康法(16)「穢れ」をなくすマッサージ体操(マット腰4)

「腰は要という字がふくまれるように、体の要となるところだから、バリエーションを一つ紹介しておこう。両膝(ひざ)を立ててくれる。」

「いつもの基本スタイルだね。」

「そう、そして立てた右脚の足の指と左手の指を絡(から)ませてくれる。右手は右ひざに添える。」

「指が入りにくいよ。」

「そう、でもしっかりと奥まで入れてね。」

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「この状態で、全身を使って、右の腰をまわす。」

「ぎこちないまわし方しかできないな。」

「そのうちにスムーズに回るようになるから気にしないで。」

 

 

 

 

超健康法(15)「穢れ」をなくすマッサージ体操(マット腰3)

「さあ、いよいよ腰のマッサージ体操に入るよ。仰向け・右膝立ての姿勢だよ。」

「これがマットの基本スタイルかな。」

「そうだね。この姿勢が多いと思う。まず右手を右おしりを安心させるように、また腰の筋肉の負担を軽くするために、手を添えてやってくれる。」

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「そして、体全体を左へ倒す。ゆっくりだよ。もとの姿勢に戻るまで含めて10秒ぐらいかな。これを10回繰り返す。右倒しも同様にする。」

 

腰マット21

 

「次は、曲げた方の脚を上げてまわす。しっかり手でサポートして、腰全体でまわすイメージで、徐々に大きくまわす。これも、ゆっくり、10回ほど行う。反対側も同様にする。」

「腰全体という意識と、手のサポートでらくに行なえるね。」

腰片足上げ回し

 

超健康法(14)「穢れ」をなくすマッサージ体操(マット腰2)

「さあ、体の中心に位置する腰に力を入れてみよう。腰は悦びが感じられるマッサージ体操だ。股関節の悪い人には、順序もある。その人のためにも、順序だったマッサージ体操をやってみよう。」

「僕は特に股関節が悪いわけではないが、安全な方法を覚えておきたい。よろしく頼むよ。」

「まず、前に紹介した、腰回りをマッサージする簡単なマッサージ体操をします。今回それが準備体操のようなものだから、2~3回行えばいい。」

「OK.2回やったよ。」

「次に腰の回転と重力を調和する。要するに、筋肉が重力に対して身構えてしまうことを排除するための準備体操だ。そのことを体感してもらおう。これは腰の体操には含まれていないので1回、体験するだけでいい。まず立ってくれる。それで前屈をやってみて。」

「地にはつかないよ。」

「これから、地につく方法を教えるよ。」

「まず、膝を曲げて、指先を地に着けてみて。」

「OK.着いたよ」

屈折1

 

 

「それで、指先を地に着けたまま、膝を伸ばしてみて。」

屈折2

「ああ、手が着いたまま、膝が伸びている。」

「この違いは何?」

「…」

「重い頭が急に下に下がったから腰の筋肉が転倒を防ぐために反応するんだ。筋肉の硬直が起きて、腰が硬くなってしまう。始めから地に着いている状態から膝をのばす動作だと、転倒の危険がないので、腰は硬直しない。このことを知ってもらうために体験してもらっただけで、腰のマッサージ体操とは直接関係ない。」

「体の反応って僕らが気付いてないところで僕らを守ってくれているんだね。」

「その守る機能が筋肉を和らげる妨げにもなるので、そのことを知った上で、緊張を避けるマッサージ体操の工夫がある。ゆるやかな動きと重力に対する配慮だ。」

 

 

 

 

 

マット膝つま先で1

超健康法(13)「穢れ」をなくすマッサージ体操(脚)

「超健康法は、絵を描かなければ分かりにくく、へたなりでも絵をかくのは時間がかかるので、ひとまずお休みにしようと思っていたのだが、「カムナガラ」の生き方の修行(?楽しいだけなのに?)でもあるので、もう少し付け加えることにしよう。」

「よかった。家内に話したら目覚めた時にやってもいいよと言われたので続けているが、体が要求しているのか、早めに目が覚めてしまう。終わって起きるときは体が軽くて「やるぞ」ていう気持ちになる。手足に気が通るからかな。後回しになっていた雑用がみんな片付いて、こんな事まで変わるんだって驚いているよ。」

「それはよかった。今回付け加えたいのは、超健康法(4)マット(片膝立て)のバリエーションだ。ちょうど、めざめたときの蒲団の中でのマッサージ体操だ。まず、片膝をたてて左脚を伸ばしてくれるくれる?」

「OK]

「その立てた右膝の方の足を使って伸ばした脚の足首と膝関節のマッサージを行う。まず、膝の内側に足の指から指の付け根をあてて、数回上体をゆっくり回転させる。次に膝の上側に足裏の土踏まずを置く。その形で数回上体をゆっくり回転させる。最後に膝の外側に右脚のくるぶしをあてて数回上体をゆっくり回転させる。」

マット絵膝つま先で1

 

「次は足首だ。膝と同様にやる。」

マット絵足首つま先で1

穢れと癒し・超健康法

10月11日19時から、八尾市倫理法人会主催の講演がありました。講師は小坂達也さんでした。先日朝起き会の大会で市会議員の畑中一成さんからチラシを渡されて、行く約束をしていたのですが、当日忘れかけていたところに、電話がありました。やっぱり、行くべき何かがあるなと感じて参加したのです。

結局、一成さんは、選挙の会議が長引いて来れずIMG_0473、私は予約も入れずの参加でしたが、食事のときの席は、八尾市倫理法人会会長岡巌さんと講師小坂達雄也さんの前でした。見えない世界の働きを感じました。

カタカムナの時代(12000年前)の神道の話をしましたが、御存じないようで、終始だまったままでした。彼は新しい神道(古事記記載の時代)を日本や世界に広めていこうと情熱をもっておられます。

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講演の中で神道の「穢れ」の説明があり、私が提唱する「超健康法」の基盤となる考え方なので、今日はこれを紹介します。

写真にあるように、「穢れ」というのは「気が枯れる」という意味のことばです。私が神道の勉強をするまでは、汚れのように受け取っていました。欲で汚れた心を洗って清い心にするんだと思っていたのです。それは仏教的な考えです。

本当は、体の中から気エネルギーが少なくなってしまって体が本来の機能を十分に発揮できなくなる状態をいうのです。恐れ、怒り、悲しみ、憎しみなどの心遣いをすると、それに対応する臓器に気が十分に流れなくなって、やがて血行が悪くなり、病気になるという心身の働きがあるのです。これが「穢れ」です。

踊ったり、唄ったりして、心の奥を開き、『内在神』(創造神が人のからだに入り込んだもの)からの気エネルギーを再び体に満たします。これが神道における『祓』です。

私はこれを、超健康法の「マッサージ体操」で行っています。内側の繋がりを強化し、気の流れをよくすると同時に、気功に内気功だけでなく外気功があるように、『全意識』によって、外の気とのつながりも強くするのです。

『正法眼蔵』(道元著)とカムナガラ(2)

「ブログを見たらよくわからなかったので説明してほしいよ。君の友達と話していた『心身脱落』と言うのはどういう意味なんだ。」

「そうだね。心も体もすべて『根源神』に明け渡すと言う意味かな。心の中に自分の考えと言うものがあれば、それは不完全な知識と言うことに他ならない。自分が宇宙の中でほんの微々たる経験や知識しかしないのに、その経験や知識に基づいた偏った考えで根源に関わる大きなことを判断すると、まともな結果が出ないと言う事は分かってくれるよね。」

「そうだよ。それじゃ、完全なる知識を持った『根源神』に心を明け渡して『根源神』に全てを委ねると言う意味になるね。」

「その通り。分かってくれたね。」

「その『根源神』と言うのは普通の『神』とどう違うんだ。」

「今、『根源神』と言うのは『創造神』でもある。『創造神』が宇宙を創造したときに、人を作った。ものを作ると言う作業は、何か目的があって作るものだよ。今『創造神』は人に何をして欲しかっただろう。」

「他の存在(『創造神』がつくったあらゆるもの)の面倒を見て欲しかったのかな。」

「そうだね。人にそういう能力が与えられていると言う事は、そういうことになるだろう。」

「それなら、人は、他の存在の面倒見なきゃいけないのだ。」

「そういうことだ。自分も含めて『創造神』が作ったすべての存在の面倒を見る、これが人の根本的な義務なんだ。この義務を果たすことを『奉仕』と言うのだ。無償でこの驚くべき能力を持った人間の心身を与えられたことに対する無償の『奉仕』ということになる。」

「そういうことか。」

「そういうことだよ。だから、人は『奉仕』が嬉しいんだよ。目先の欲にとらわれた行動より環境(人、自然などあらゆる被造物)に何かいいことをすること、それに最高の喜びを感じる。『奉仕』と言うのは、そういうことなんだよ。」

「前回ブログで話ししていた友達は、神が作った全てのもの、その被造物に『奉仕』することを日常の喜びとして感じているんだ。すごいだろう。」

「その友達はそういう人なんだ。そんな人がいたんだ。」

「いる。少ないがいる。だから彼らは経済的に豊かでありうが、貧困であろうが最高に幸せなんだ。彼らは、すべての中に『創造神』を見ている。だから、あの程度の説明で十分に理解してくれた。」

「それと、いま説明してくれたことを、道元はその同じ内容をどうしてあのように難しく書いたんだ?」

「その時代には、宇宙を創造した存在など意識していなかったから、いまの私のように説明してもなかなか理解してもらえなかったんじゃないかな。もともと言葉で説明しきれるような内容ではないんだ。人にとって、言葉はとても便利なものだが、そのためにその言葉に頼ろうとすると、このような根源的なものに対しでは説明しきれない。だから、あのような禅問答のような表現になったのだろう。確かに、いまのわれわれにとっては、非常にわかりにくい。まず読む気など起こらないだろう。しかし、その時の禅や仏教の真摯な修行者にはまだあの方が分かりやすかったのかもしれない。」

「しかし、『奉仕』が最高の歓びだといっても僕にはしっくりこない。」

「だから、その喜びを味わっているその友達は、谷崎潤一郎の『春琴抄』を見て、これを読んでくれというのだな。体験してみなければわからないのだが、他人の体験でも少しは理解できるし、何より人生の違いが悟れる。」

「読んでみるよ。」

「だけど、『奉仕』というのは我々はすでに体験しているのだよ。誰かを喜ばせてあげたら自分も楽しい。誰かというのは、神が創った最高の優れた存在だ。これを喜ばせることをしたら、それはそれは素晴らしい。その人の心になってその思うところを手助けさせてもらう。これは、『奉仕』だよ。すでに君もしている。」